April 29, 2008

コラム 理系のための沢登論(1) 4・26竜喰谷遡行

今日は今シーズン初の沢ということで、T氏とK氏とともに奥秩父の竜喰谷に行ってきました。ネーミングとは裏腹に滑滝や直登できる滝が多く、薮こぎも不要で初沢にはもってこいの沢です。

7:30入渓。石楠花橋手前15mほどの地点に明瞭なふみ跡があります。天気は霧雨で濃厚な霧が立ち込めており、河原に降り立つと晴天では見られない生きいきとした苔が我々を出迎えます。甲武信小屋の主が奥秩父は梅雨の時期が一番良いと言っていたのを思い出します。

しかし気温は9℃と低く、前夜からの雨と、ここ数日の悪天で一ノ瀬川は怒涛の勢いで流れていました。渡渉ポイントを見つけ、なんとか渡渉し竜喰谷へ入っていきます。

竜喰谷の洗礼は5m滝です。4月の沢の飛沫は大変冷たく、T氏いわくやはり前回より水量が多いとのこと。しかし傾斜は緩いので直登は可能で、その後も下駄小屋の滝まで適度な滑滝、小滝が続きます。

毎度沢で最初にやることは小滝や滑を歩きながら、石や岩の形や色、苔の色からその沢の滑りやすい石、滑る苔を見つけておき、頭の中でこれらの滑る組み合わせのマトリックスを構築しておくことです。これが核心の滝を突破するときの、足の置き場の重要なデータベースとなります。Timtamで沢は経験と言われるのは、このデータベースは行った本人でなければ構築できず、また場数を踏まなければ拡張できないから、と勝手に思ったりしています。当然ながら、ただ「連れて行かれる」関係の沢登りだと、いつまでも構築できないのは自明の理ですね。

しかしどんなに滑りやすいヌルヌルの苔の岩でも、常に重力と垂直抗力の向きが縦に一直線上になっていれば滑ることは無いわけです。ところがある角度θを持った滝の、極端に摩擦係数μが低い岩の上で本人が滑らないのはmg・sinθ=μN(垂直抗力:N=mg・cosθ 体重:)が釣り合っているときであり、θが大きいほど、μが小さいほど滑ってしまい、本人の体重はまったく関係ないことがわかります。しかし滝の角度θは山の神でもなければ変えられないわけですから、滑りたくなければμを大きくする。つまりなるべく足裏面全体で岩に吸い付き、つま先やかかとなど足裏の一部に体重を集中させないことです。これが動的な荷重のかけ方だと、人間は必ずつま先やかかとから着地しようとするから難しく、静加重・静移動である必要があります(ここから一歩踏み出す、または着地する際に滑るかどうかは、さらに加速度aとモーメントの釣り合いを考慮するから、これはまた次回)。timtamで静荷重・静移動を繰り返し教えるのも、理由はここにあると、またしても勝手に思うのです(違ったらごめんなさい)。ロッククライミングにおいて、つま先だけで岩のほんの小さい突起に足が置けるのは、ドライな岩と高性能なクライミングシューズに拠るところが大きいと思うのです。沢でそんなことをしたら、即ドボンでしょう。沢とロッククライミングは似ているようで、まったく対照的な面もあるという好例かと思います。

こんな持論を整理しているうちに、下駄小屋の滝12mに着きました。左側から簡単に登れそうですが、落ち口は水流が激しく、右岸も切り立っておりルートが読めません。ただT氏いわく途中で藪に巻けるというので、逃げ道があるなら安心です。早速ロープを出してリード開始。下部はホールドもしっかりしておりサクサク上り、途中の枝にランニングをとって、さてどうやって落ち口を突破しよう・・・。左岸に傾斜の緩い滑になった箇所があるから対岸に渡れれば終わったも同然ですが、またげるほど滝は狭くない。激流のどこかに一歩足をおかなくはならなそうです。さてどこだろう・・落ち口は水量が多く泡立っており川底が見えない。でも激流は常に岩を洗い、苔は無いはずだし、先ほどのデータベースによれば、まずこの岩は滑らない。あとは足が流されない浅いところに足を置けばいいはずだ。3点確保で軽く右足を置いてみる・・。お!足首くらの浅いところ発見!ようやく対岸に渡り、滝を突破。セルフビレイをとって、セカンドがT氏、最後にK氏が登ってきて全員無事巻くことなく直登終了。T氏は核心に残置があるのを知っており、より簡単に突破してきました。というわけで、この滝は言うほど難しくないです。Ⅲ級程度。

その後8mの階段滝と核心の10mの曲がり滝。曲がり滝は途中まで左岸を登れば簡単そうだが、やはり最後落ち口で苦労しそうです。先ほどの滝同様に落ち口で対岸に渡ればいけそうだが、今日は壊れたマーライオンかのように水流が滝の前面に噴出しており、体が吹っ飛ばされそうです。しかも霧雨と滝の飛沫で左岸の岩も濡れ濡れで、飛沫を常に浴びながら登ることになるでしょう。さすがにあの壊れたマーライオンには少々怖気づき、右岸から巻くこととなりました。ガイドでは8mの階段滝まで戻って巻くとあるが、中間点の右岸にもしっかりとしたまき道があります。尾根越えの大高巻きと、曲がり滝の横を通る小巻きがあり、小巻きは滝を越えてからの足場が悪く、切り立った崖になっていたので、懸垂下降で10mほど降りることとなりました。

この滝がいわゆる本日のメインディッシュであり、次はサラダ、デザートというところですが、これがデザートか!?というほど際どい滝もあり、ロープを出す局面もありました。(T氏は、はなっから巻いていた・・) 

そんな楽しい滝も過ぎ、支流との分岐を過ぎていくと、さすがの水量も減ってきて雪渓も見え始め、ゴールの大常木林道が近くなったことを感じさせます。それにしても川のせせらぎのなか、周囲の霧と新緑に包まれたこの雰囲気はなんとも神秘的です。

いよいよ最後の分岐を過ぎて大常木林道の丸太橋にたどり着き、12:30遡行終了。詰めの薮が無いのはなんともうれしいです。

下山は地図に載っていない大常木林道を15分ほど歩くと、ムジナの巣への道と、二の瀬に至る林道の分岐点が現れます。今回は左を選び二の瀬へ向かいます。90分ほど歩き、二の瀬の舗装道にでました。

ロープを積極的に使ったので遡行時間はかかったけど、ロープワークの手さばきを学ぶ良い機会でした。今シーズンのexerciseⅠといったところですね。

記:HUKU郎

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April 22, 2008

続、雨の春分の日の山

三月十九日、東進する速度のきわめて遅い低気圧が関東甲信越地方を通過していた。翌二十日の長野県地方は一日雨の予報、東京、神奈川、千葉には風雨波浪警報が出ていた。
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上信・黒斑山(くろふやま、浅間山の外輪山の一部)のスノートレッキング教室を実施するかしないかTimtamのスタッフ会議が開かれた。
*登山口の車坂峠の標高が二千メートルを越えるのだから雨でなくて雪だろう。
*ルートは森の中だから吹雪にはならない。
*たぶんほとんど人がいない貸し切り状態になるはず。
*車坂峠で雨なら教室は中止してすごすごと引き返す。
*引き返した場合には集合の佐久平駅から車坂峠までの交通費をTimtamが補填する。
・・・・・中止でなくて実施する。
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三月二十日、雨の降りしきる佐久平駅を出発、予想どおり車坂峠は雪、ノントレースの登山道をワカンによるラッセルを楽しみながら黒斑山を往復した。
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同じようなことが一ヶ月後にまたあった。四月十八日、東進する速度のきわめて遅い低気圧が関東甲信越地方を通過していた。翌十九日の秩父地方は曇り予報だが朝のうちの降水確率は五十パーセント。
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日和田山の岩登り教室を実施するかしないかスタッフ会議が開かれた。
*もし朝から曇りなら、昼前には岩が乾く。
*たぶんほとんど人がいない貸し切り状態になるはず。
*朝から雨なら教室は中止する。講習費は全額返却する。
*中止の場合は希望者をつのりインドアのクライミングジムへの個人山行に切り替える。
・・・・・中止でなくて実施する。
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四月十八日、朝六時~七時までは時々弱い雨が降る状態が続いていた。七時半に雨は上がり高曇り、八時に薄曇り、八時半に青空が見えた。もちろん岩場は濡れている。午前中はロープワーク、やさしい男岩南面の一般ルートをのロープワークトレーニングをしながら登り降りする。十一時には岩が乾いてきて本来の岩登り教室のプログラムに移行した。我々七人の他に二人しかいない貸し切り状態、登りたいルートを登りたい放題登って四時に終了した。

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March 21, 2008

雨の春分の日の山

三月十九日の夜、低気圧が日本の南岸をきわめて遅い速度で通過していました。低気圧はすごく大きくて東京地方には大雨注意報と波浪警報が出ていました。関東甲信越地方の二十日の予報は終日雨、低気圧の右を回って入る南風で午前中は気温が高い、気温が下がり出すのは午後、雨が上がるのは二十一日になってからとのことでした。
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二十日は春分の日で休日、山に行く日です。でも、日帰り出来る山はどこも激しい雨です。クライミングジムに行けば雨はしのげるけれど、混んでそうだし、まだエアコンが入る時期ではないから湿気でムンムンしていることでしょう。だいいち僕ら山ヤが、ジムで一日過ごすのはストレスフルです。せっかくの休日、山ヤは山にいるのが一番楽しいのです。ジムは平日の夜が旬だと思います。ちなみに、旬でない山はおいしくないし危険が伴う場合が多いものです。
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さて、ぼくらはどこの山に向かうったでしょうか?
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ぼくを含めて四人の山仲間は車で早朝六時半に新宿駅西口からスタートしました。ぼくの車は軽自動車(ダイハツムーブ)、フルタイム四駆でスタッドレスタイヤを履いていて、天井が高くて四人楽々乗って日帰りの山(四人でテント泊の山だと荷物に圧迫されます)に行けるのが自慢です。首都高、外環、そして関越道、高速道路は雨に煙って視界が二百メートルぐらいしかありません。時速八十キロの制限速度で巡航…、オット、これ以上書いたらどこらへんの山に行ったかバレちゃいますね。
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ぼくらの向かった山域を推測してコメントにして下さい。それは雨の春分日に行ける素敵な山のヒント集になるでしょう。答えの発表は次回になります。(J記)

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March 12, 2008

58 and go!

ぼくは四月生まれだ。もうすぐ五十八歳になる。
①老眼の度がプラス2に進み、乱視も入って来て、視界も狭くなって来た。
②会得したはずの動作で、出来なくなっているものがいくつか出てきた。
③物忘れがひどっくなった。
④人の名前を憶えるのが大変になった。
⑤新しいことに挑戦する意欲が乏しくなった。
⑥刺激と反応を司る神経系全体の機能が低下してきた(反応が鈍くなってきた)。

一昨年の年末、奥秩父を縦走した。タクシーで雁坂トンネル入り口まで行き雁坂峠まで登った。よい天気だったし雪も積もっていなかったのでオーバーズボンは着用しなかった。冬季解放の雁坂小屋に入り一泊した。夜から雪が降り出した。翌朝、身支度を始めたらオーバーズボンがみつからない。雲取までの縦走路にはトレースがないし雪も降ってるし風もあるオーバーズボンがなければ進めない。雪山登山の場合は忘れることが許されない物が多いので、昔からチェックリストを作ってパッキングしてる。だから、オーバーズボンがないはずはない。
「あせるな」・・・「もう一度ザックの中を探せ」・・・やっぱりない。
「慌てるな」・・・「もう一度探せ」・・・やっぱりない。
他のメンバーに打ち明けて、謝って、撤退してもらうことにしようと思ったその時、昨夜の記憶が小さくかすった。
「まくら」・・・「非常用衣類袋をまくらにして」・・・「まくらの高さが足りなくて」・・・「オーバーズボンを」・・・「非常用衣類の袋を開けてみよう」・・・アッタ!
メンバーには顛末を言わずに身支度を調えた。

五十八歳を越えて歳を重ねる度に、ちょっとした物忘れが重大な事故につながるようなバリエーションルートの山登り(岩登り、沢登り、雪山登山)では、危なさが増して行く。

Timtamではバリエーションへの個人山行が許可されるのは六十二歳の誕生日までだ(バックアップ会員の定年の規程)。だから、六十二歳までは個人山行を続けようと思う。六十二歳を過ぎたなら、参加者全員がリーダーの責を負う個人山行(個人山行の規程)でなくて講習山行やガイド山行に登り方を変更する。代価を払って、経験豊かな40~50歳代の講師のサポートを受けるべき年齢だからだ。そしてこれまでの知識と経験をベースにした総合的な判断力と、若い人よりも多くあるだろうお金と時間を屈指して屋久島、沖縄、西表、タイ、マレーシア、アメリカ、カナダ、ニュージーランドへとクライミングとハイキングを中心に山登りの輪を広げて行こうと思う。
(文:M浦)

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February 27, 2008

雪崩れビーコンの機能を携帯電話に

十年以上前の三月初旬の土曜日のことだ。夕方まであった仕事(ぼくの職場はまだ週休二日になっていなかった)を片づけて帰路についた。家から五分の所にある酒屋の前で車を止めて、ワンカップ大関を二本とピーナツの混ざってない柿の種を買い家に戻った。それで、七時半ごろからの夕飯までチビチビと飲んでいたその時。だんだんお酒で身体がポカポカしてきたその時。玄関の電話がけたたましく鳴った。谷川岳の天神尾根上をスキー場から1時間ほど行って小ピークを一つ越えた所に掘った雪洞の中からの電話だった。
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まだIモードのメールなんかなくて。ドコモのムーバーかとPHS(ピッチ)が激しくシェア争いをしてる頃だった。
「まさか、携帯電話がつながるとは・・・。」思わず声を出していた。
入り口が小さくてそのの前にはブロックが積んであるのでほぼ電波の出口のないと思われる雪洞の中だから、たぶん電波は雪を通りぬけて飛ん出たのだろう。
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電話の向こうで話し声や大きな笑いが聞こえる。十一人も中にいて宴たけなわで盛り上がっていて。なんか話しがまとまって、先輩のK氏が調子に乗って電話をかけて来たのだ。
「アレー!カカッチャタヨ・・・、アー、ナンデコネーノカッテ、ナニー、シゴトダッー、イマカラコイヨー!」
とか言って上機嫌だ。五人以上が電話でしゃべってようやく切れた。まだまだ携帯電話が珍しい時代だったみたいだ。
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時を経て今週末、タカマタギ山の雪洞泊山行に参加するつもりだ。八人ほどの参加者がいるので。たぶん何人かは雪洞の中から電話でなくてメールをするだろう、そのメールはもしかすると写真付だ。携帯電話は十年で人の暮らし方を変えてしまっているようだ。
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アイデアがある。携帯電話に雪崩ビーコンの機能をつけるというものだ。もし僕が最初に考えたんだったら実用新案特許ものだ。携帯電話を失くしたり置き忘れてもビーコンの機能で探すことが出来るから便利、だからきっと売れると思う。ほとんどの人が携帯を持ってて、それで数度は自分の携帯をビーコン捜索をした経験を持つだろうから雪崩れに埋まった人の救助率は抜群に上がるだろう。(J記)

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February 22, 2008

ぼくも保ってみよう!

武蔵野線とつくばエクスプレス線の南流山駅から草加流山街道を東に徒歩10分(地図はTimtamのホームページの岩登りの写真の1番目の記事にある)の所にガンバクライミングジム(以後:ガンバ)という現存する中では日本で一番古い屋内人口壁(高差8m)がある。
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毎週水曜日の午後2時ごろにその人はガンバにやって来る。曜日は決まっているのだが、やって来る時間は1時の時もあれば4時の時もある。水曜日は仕事が休みの日で家事を済ませてから来るから時間は不規則になるんだそうだ。ちょっと小柄で、ムキムキではない程度に筋肉ついて、痩せて見えない程度に痩せていて、チョッピリかっこいいクライマー体型の年配の女性だ。
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ジムに到着すると、奥にいるジムのオーナ夫人(ママさん)に声をかける。着替えて、準備運動をして、ストレッチを済ませるたころジャストタイミングでママさんが出てくる。ママさんにビレーをしてもらい、壁を登ってロワーダウンで降りる。ママさんと五分くらい世間話をしながら息をととのえる。また壁を登って降りるをくりかえす。
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始めに垂直の壁を四本、次にやや緩い前傾壁を腕がパンクするまでたぶん六本くらい登る。それが二時間半くらい続く。登るルートはガムテープの色なんかで示された既製のものではなくて自分の身長に合わせて自分で作ったもののようだ。毎回同じように見えるが、実は微妙にルートが違う。壁の途中で即興でホールドを決めて変えている。全てがロープを引くリードクライミングだ。
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腕がパンクしたら20分ぐらい世間話しのインターバルをとって壁のトラバースに入る、四メートルの高さにあるクイックドロースリング(ヌンチャク)にロープをクリップしながら右へ右へと移動する。もちろん左へ左へと移動する日もあるが右移動を見る事の方が多い。四メートルの高さだけれどママさんにビレーしてもらっている。その人はボルダーリングはしない、つまり壁を飛び降りることはしないのだ。「飛び降りると衝撃で骨とか関節とかを痛めるので飛び降りることはしないようにしている。」とのことだ。トラバースすること十六メートル、そこから130度のかぶった壁を上に四メートル登って終了点でクリップ、ロワーダウンして終了する。それは十六回以上もクリップするロングルートだ。そのロングルートのメニューが終わったら、その人は帰る、かなりさっさと帰る。
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その人は以上のような登り方を、先週も、その前の週も、その前も、ずっとずっと、ガンバクライミングジムが三星(みつぼし)ウォールと言う名前だった時代からなんと20年以上も続けて来ているのだ。そして、今週も来週もさ来週もこれからもずっと続けるだろう。
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ぼくの場合は昔傷めた頸椎のズレを流山総合病院(患者を長く待たない方針に徹しているのがいい)治療してもらった帰りにガンバに寄ることが多くて、それがたまたま水曜日の夕方だった時なのだから、三ヶ月とか半年とかに一度くらいしかその人には遭遇しない。だから、最近になってようやくその人の登り方に気がついた。というか、薄々わかってたことがつながって確信できた。
「うまくなろうとしているんじゃない・・・」
「保っているんだ!」
「続けているんだ!」
「ああ!そうだったのか・・・」
その時、彼女の二十年間ガンバでの様子が見えていた。
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「ぼくも、保ってみよう。」
「それなら出来るかも知れない!」
                    (文:流山のタマ)

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February 19, 2008

月に一度は山に行こう!

日本では月に五十時間以上残業する人が二三割いるそうです。統計に現われている数字だけでそうなんですから、届けてられてないサービス残業なんかを含めたらもっともっと長時間なはずです。そう、日本は先進国の中でもっとも労働時間の長い国なんです。
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40年ほど前まではコンビニはありませんでした。フリーザー付冷蔵庫や電子レンジもありませんから、夜遅くなっての食事はみそ汁でごはんを煮た「おじや」あたりが定番でした。食事のことだけ考えても長時間の残業が出来にくかったのです。でも、だんだんと便利?になってきて今は違います。日本人に脈々と流れる滅私奉公、一生懸命、一所懸命、・・・という精神が大きな潮流となって追い打ちをかけます。放っておけば長時間労働はさらにエスカレートするでしょう。深夜や正月元旦に営業をするスーパーなどの店舗が続々と登場しているのがその証拠です。
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長時間労働が行きすぎれば、疲れが溜まり、体力、気力、免疫力が落ちてしまいます。家事やレクレーションに当てる時間が減って行きます。結果としてミスが生まれアイデアも出なくなり病気も発生します。日本は先進国の中で最も単位時間あたりの労働効率の低い国でもあります。 社員が滅私奉公してるのに業績が伸びないことに気がついて労働時間を減らす企業も出始めてはいますが、この状態はまだまだ続くと予想出来ます。
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少子化が問題になっています。それを解決するために産休や育休の充実、育休後の職場復帰をしやすくする、保育園の整備、育児手当の増額とかが叫ばれてはいます。でも、父親に子育てにかかわる時間がないのが大きなの原因であることに気がついている人は少ないのです。産休育休があり、母親になれば定時やその前の時間で仕事を終えられる企業は増えています。しかし、それで喜んではいられません。母親は保育園にあずけた子供と夕方に帰宅します。それからから深夜に父親が戻って来るまで数時間待って、帰ってもボロボロに疲れていてすぐに寝られてしまって、けっきょく家にいる間はずっと、一人だけの子育てと仕事の両立が、毎日毎日続くのです。彼女は二番目の子供を持ちたいとは思わないのです。
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行きすぎた長時間労働の風潮はなくさねばなりません。
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いそがしく仕事をする現代の職業人達に月に一度の山登りを勧めようと思います。休みの日は寝坊して、ゆっくり身体を休めるのに使って下さい。でも、一ヶ月に一度だけ、早起きして山に行きましょう。そのために仕事の段取りをしましょう。それが出来ない場合は、半日でもいい、二時間でもいいからなんとしても一ヶ月に一度、山に行きましょう。街じゃなくて山です。身体と心がリフレッシュされるから、その方がぜったいに「いい仕事」が出来るのです。体調が良くなり生活習慣病なんかも防げて健康になります。
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月の一度の山登りは今から準備すれば四月にはスタート出来ます。Let’s start!  (J記)

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November 26, 2007

鷹取クライマーに乾杯

36年前の6月のこと、僕は大学の四年生でした。
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夜の8時ごろに後輩の田君から電話がかかって来ました。
田:「今度の夏合宿に毛勝に行きます。ザイル持って行きたいんです。」
僕:「フーン!」
田:「それで、ザイルを買いたいんです。」
僕:「部室に古い12ミリがあったじゃないか?」
田:「あれは撚りザイルでもう古すぎます。」
僕:「それじゃあ、部費でザイル買えばいい。」
田:「ザイルは部じゃなくて個人で持った方がどう使ったかがわかるから、個人で買いたいんです。」
僕:「フーン!」
田:「お金がないので、僕と岸とJさんの3人で買って、毛勝に行った後は3人で交代でそれを使いたいんです。」
四年生部員は後輩にはとても優しいのです。僕はすぐにOKの結論を出してしまいました。地下鉄千代田線を作る工事のアルバイト収入があったばかりのゆとりがそうさせたのかも知れません。
僕:「・・・わかった、その話しに乗ろうじゃないか!」
田:「それでザイル買いに行きたいのでいっしょに行って下さい。」
僕:「・・・来週の水曜ならOKだよ!」
話しがまとまって、僕と田と岸の3人は鶴見のIBSにザイルを買いに行きました。店員に9ミリ一本じゃ本番に使えないと言われて、エーデルリットの11ミリの40メートルザイルを買いました(今思えば、様々な諸条件に合っていたのは8ミリ30メートルの補助ロープと考えられます)。そしてその週の日曜日に鷹取山にザイルの使い方研究に三人そろって出かけて行くことになりました。先輩で横須賀山岳会に入っている原さんに
「教えて下さい!」
と頼んでみたら、わりとあっさり、午後だけですが、来てもらえることになりました。原さんとは午後1時に石仏の前で待ち合わせです。
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僕の部つまりワンゲル部は夏は縦走登山(含ヤブコギ)で冬は山スキー(ツアースキー)がメインの活動でした。岩登り、沢登り、2000メートル以上の雪山登山をやってはいけないというルールは無かったのですが、OBになってからやるというような暗黙の了解みたいなものがありました。上記のエーデルリットのザイルは2万円以上しました。ジュラルミンのカラビナが千円以上、ハーケンは6百円以上です。クライミング用品は現在の値段と大差がないのです。学生食堂で定食が60円、うどんが30円で食べられた時代です。ハーケンを2つ買うお金は学生の一ヶ月分の昼飯代に相当しました。僕らの部が岩登りとか2000メートル,以上の雪山登山をやらなかったのはお金がなかったからだと思います。
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さて、その日曜日、僕ら3人は湘南電車に乗って東逗子駅で下車、地図を見ながら鷹取山に向かいました。私鉄の京浜急行線より国鉄(今のJR)で行く方が安かったのです。鷹取山に到着したら、たくさんの人が岩を登っていました。社会人山岳会の全盛の時代です。20代から30代のバリバリのクライマーたちがほぼ全ての岩場に取り付いていました。当時から岩にはハーケンを打った跡の穴がいっぱいあいていました。リードする人はその穴にハーケンを思い切り打ち込んで支点とし、アブミをかけて人口登攀で登ります。セカンドも人口登攀で登り、トップの打ち込んだハーケンを左右にたたいて抜いて行きます。鷹取山の岩はやわらかい砂岩なので、人口登攀で登られるたびに穴が大きくなって行きます。僕達はまさに、その「穴を大きくする」渦中を見たのでした。
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バリバリクライマー達の人口登攀をしばらく見学した後で、歩いて登れる岩の上(たぶん石仏エリアとコの字エリアの間にある岩)に出て、そこで肩がらみの懸垂下降の練習をしました。午後1時になって原先輩が合流、リードアンドフォローのロープワークを教えていただき、3級の岩場を登りました。たぶんそこはコの字エリアに行くためのアプローチになってる緩い斜面とコの字エリアの西側にあるちょっと暗い場所の緩い斜面です。コの字エリアにも行きました。夏だというのに、十二本爪アイゼンを使って練習をしている人がいました。トラバース練習(現在のボルダリングに近いこと)をしている蜘蛛みたいな人もいました。みんなクレッターシューズと呼ばれる登山靴で登っていました。僕らは縦走用の登山靴で登りました。ハーケン打ち&ハーケン抜きも体験しました。思い切りたたきこむとハーケンが効くことがわかりました。
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大学四年が終わって、僕は就職しました。自分の性に合っていない職種だったようでけっこう苦労しました。山登りや岩登りに出かけて行く余裕は10年ほどありませんでした。エーデルリッドのザイルは田君と岸君がしばらく交代で使い、その後、部に寄付されて、10年ほどで廃棄されたようです。
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そして、時は経ちました。鷹取山はハーケンを打った後に残った穴をホールドにして登るフリークライミングの場に変りました。
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2007年11月25日の日曜日にTimtamの救助訓練ということで鷹取山に行って来ました。幸い、風もなくて朝から暖かい一日でした。訓練場所は午前中は「コの字エリア」にて自己脱出、仮固定各種、懸垂下降各種、宙づりからの救助の訓練を行い、午後はコの字エリア入り口手前の「樹木の広場」で、人の背負い方、ザイルの結び目通過、負傷者の吊り上げ各種、ツエルト担架の作成、を行う予定でしたが、樹木の広場が救助訓練してるみたい登山者でいっぱだったので、出来るだけコの字エリアで内容を消化することにしました。午後2時を過ぎて樹木の広場に移動、ザイルの結び目通過、負傷者の吊り上げ各種の班別練習のみを行いました。ツエルト担架の練習は時間切れで省略しました。
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樹木の広場にいたのは二つの山岳会の人達だったとわかりました。合わせて40人ほどいました。その半数ぐらいを占めるのは年配(70歳代かな)の方で、かなりの実力の持ち主とお見受けしました。その年配の方々の中には、その昔、鷹取山の岩にハーケンを打ち込んで登っていたバリバリクライマーが何人も混ざっているだろうと推理出来ます。往年のバリバリクライマーと、それに並行して鷹取山に在る、Timtamの若きクライマー達に乾杯。(J記)

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November 13, 2007

日和田山の岩場、その長所と短所

長所は短所に繋がるものです。
曰く「短所を知って、長所を伸ばす。」・・・故事成語にあったかな?
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奥武蔵・日和田山の岩場はTimtamのホームゲレンデです。その日和田山の岩場にある長所とそれに伴う短所とその克服方法につい書いてみましょう。長所→短所→克服方法の順です。
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長所1:標高300メートルほどの日和田山の中腹に岩場があって、駅から歩いて30分ほどで行けます。Ⅲ級~5.11まで各グレードに3ルートぐらいづつ、数十本のルートがラインアップされています。岩場の下の広場がよく整地されていて居心地がいいです。岩場の上に登れば高麗駅とそのまわりの一戸建て住宅群が見えてそこそこ景色が良いです。
→上記の「長所1」だけとっても素敵な所だから、人がたくさん来てしまいます(特に春と秋の晴れた休日)。そんな時は、場所を先にとられたり、場所を先にとったとしても順番待ちをされたりして、落ち着けないです。
→「秘密岩」で練習し午後になって空いてきてからメインの男岩とか女岩に移動するようにします。
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長所2:チャートという堅い岩で出来ていてホールドが欠けにくいです。プロテクションも頑丈に作れます。
→岩が硬いので冬場にアイゼントレーニングをされてしまいます。
→アイゼンに蹴られそうになるので冬場はヘルメットが必携です。自分達も負けじとアイゼントレーニングをするのがいいです。
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長所3:高すぎず(最大25m)、広すぎず、メンバーの把握がしやすいです。
→高さがないのでマルチピッチの練習が出来ません。本番の岩場に行くために大切な高度感が身につきません。
→空いている時を見計らって男岩南面の中段でピッチを切る練習をしましょう。ピッチを切れるようになったら奥多摩・つづら岩や御坂・三ッ峠の岩場みたいな高さのある岩場に行きましょう。
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長所4:全てのルートに裏から回ってトップロープをかけに行くことが出来ます。
→一人で練習してる人にルートを占領されたり、安全の感覚が乏しい人が岩場の上にいたりします。
→一人で練習する人と仲良くなりましょう。早めに場所をゆずってもらえることに繋がります(シャイで親切な人が多いです)。岩場の上でセルフビレーを取らないとか、取ってもリングボルト一個といった危ない人がいたら「セルフビレーを2カ所の支点から取って下さい。」と勇気を出して言いましょう。
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長所5:トイレはないけれど、水場があって自然の水が飲めます。
→飲めないという人もいます。
→個人の責任で飲んで下さい(ぼくはいつも飲んでてお腹を壊したことはない)。水場よりずっと下でトイレを済ませるようにして下さい。
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長所6:Yさんが岩場を毎日見回ってくれていてまったくゴミが落ちてなくてきわめて清潔に保ってくれています。Yさん以外にも常連さんがけっこういて面倒見がいいです。
→Yさんは違うけれど、説教好きの常連さんもいないではないです。
→Yさんに深く感謝しましょう。常連さんの説教は科学的に間違っていないかぎり素直に聞くことにして下さい。
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長所7:リングボルトやハーケンがプロテクションの主体なので支点を見きわめて登るアルパインクライミングの練習が出来ます(もちろんフリーの練習もOKです)。
→岩登りの慣習に初登の形式を尊重するというのがあって、フリー用のハンガーボルトが打たれることはあまりないです(10年ほど前にハンガーボルトを何本も打った‘新潟から来た’人がいたけどいつの間にか取り払らわれてしまいました)。ハンガーボルトが無いからちゃんとしたフリー用のリードルートはありません(探せばある)。
→フリーはトップロープクライミングでがまんしまよう。フリーのリードクライミングが目的の場合は近くの聖人岩や川又の岩場などに行きましょう。
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長所8:頂上直下の鳥居の広場からの景色は最高に良いです。麓の巾着田は良好なキャンプ場です(テント泊可、水遊び可、近くにコンビニ有り)。高麗川ではウグイが釣れるし、カワセミなどのバードウォッチングが出来ます。カレー屋、担々麺屋、豆腐屋などのお店めぐりも楽しいです。駅前に駐車場があります(1日500円)。曼珠沙華の名所です。
→油断をすると観光客やハイカーやキャンパーの混雑に巻き込まれます。
→河原でテント泊せずに巾着田駐車場でテント泊しましょう(夜の喧噪を避けられます)。曼珠沙華が満開の休日の岩場はなぜかガラガラです。
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M浦は「○○山塾」と「登山教室Timtam」(2003年4月に変更)で1984年から2004年まで毎年2回、日和田山の岩場で岩登り教室の講師(orコーチ)を勤めました。2004年10月より日和田の教室は毎月1回実施となりました。年2回実施の時代は雨天決行でしたし、毎月実施になってからは雨天代替日を設けて来ましたから総実施回数は76回(20年×2回+3年×12回)と計算出来ます(概ね合っていると思います)。概ねですが、明日11月14日の日和田の教室は78回目となります。2007年の秋からは月に2回実施のペースになったので、100回目のカウントが間近に迫っていて、気合いが入ります。
応援よろしくお願いします。(文:M浦)

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November 11, 2007

日本ザルの30年

30年と少しだけ前のことだ、オープンリールのテープレコーダーからカセットテープラジカセに変ろうとしていた時代、VHSとかβマックスといったビデオ機械がまだ出来ていなかった時代、・・・のことだ。ぼくは「日本ザル」という学校教育用に作られた映画を数クラスの中学生達に見せたことがあった。学校の教室に暗幕を張って暗くして、白黒でなくてカラーの教育映画を見るなんてことが目新しかったせいか?あるいは映画の内容が面白かったのか?彼等が50分もの映写時間を飽きずに過ごしていた(見ていた?)記憶がある。
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瀬戸内海に浮かぶ「幸島」という所に野生の日本ザルが住んでいた。京都大学の霊長類研究所はその幸島の日本ザルの餌付けに成功して、その生態を詳しく観察することが出来た。映画「日本ザル」はその観察の撮影記録を編集したものだった。
@「イモ」と名付けられた母ザルと死んでしまった子ザルの話し
@「イモ」がまだ若い子ザルだった時に蒔かれたイモを海の水で味をつけて食べることを発見し、彼女が大人になるころに群れ全体に若者ザル文化として定着した話し
@イモより若いサルは海に入るけれど年配のサルは海には入らない話し
@ボスザル「カミナリ」とサブリーダーの「アカキン」と「○○○(名前は忘れ)」が群れを守り、群れを狙うヒトリザルとの攻防の話し
@ヒトリザルの攻撃でノイローゼになる「アカキン」の話し
などが紹介されていて、最後に
@島に犬が乱入した時のボスザルとサブリーダーザル
が活躍して犬を撃退する話しで映画は終了した。
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日本ザルの世界に「ボスザル」がいると信じていた。動物園に行くとサル山に行くのが好きだった。サル山では決まってボスザルを探した。多摩動物公園でサル山に向かって空気銃を打って来るワルイヤツがいてそいつから群れを守り、何発も何発も弾を受けて死んだ「ボスザル」の話しを聞いて感動したこともあった。
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伊澤紘生さん(宮城教育大学教授、霊長類学者)はこの30年間野生の日本ザルの観察を続けてこられた。伊澤さんも始めは群れの中にボスとかサブリーダーとかを捜したそうだ。そして、
「日本ザルの社会にはボスザルは存在しない。」
という結論にたどりついた。
「存在を証明するのは簡単だけれど、存在を証明しないのは簡単ではなかった。」
「ボスザルがいるのは動物園とか人間に餌付けされたサルの集団だけなのだ。それは人間から必要量程度のエサをもらって暮らすから、おいしい餌をお腹いっぱいに食べるために競争の原理が働くからだ。競争の原理が働いて、強いものが先に多く食べるという順位が出来てしまうのだ。野生の世界では木の実などの食糧は一斉にたくさん実る。食料をみつけたサル達は競争したり順位の確認などする必要はない。有り余る豊かな餌をのんびり食べたいだけ食べればいいのだ。」
「餌を求めて群れは移動する。当然若いオスの行動は速い。新しい餌をみつけた若いオス達は喜々として騒ぎ、群れ全体に餌の位置を知らせるのだ。そして、後から来る年寄りや子連れのサル達を追うような行動は観察されたことがない(餌を独り占めするようなことはしないのだ)。」
「条件を統一した時に競争が起こる。例えばルールという条件が統一されたスポーツとか、出題科目と出題範囲が統一された入学試験は競争そのものだ。それだから、競争のない野生の日本ザルの社会に学ぶことは多い。」
伊澤さんはちょっと聞き取りにくい浪花節を呻るような低音で話していた。(J記)

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