« October 2005 | Main | December 2005 »

November 30, 2005

近くていい山、滝子山

秀麗な山様
展望の良さ
中央線の初狩駅から登って初狩駅や笹子駅に戻れる
訪れる人の少ない静けさ(三人しか会わなかった)
落ち葉の積もったフカフカの道
樹木の紅葉
展望のある草原
動物のいた痕跡、熊かな猪かな
蓑虫がつり下がってた
藪と岩の急登あり(初心者はロープがいる)
地図に道が書いてない
やぶこぎなし
歩行時間七時間

滝子山にその東尾根から登るコースに行ってきました。そこはすごく素敵なコースでした。行った人はきっとだれかに
「よかった!」と話すでしょう。
だれかがまただれかに口コミで伝え、その何人かは実際に出かけて行ったんでしょう。そんなことをくりかえすうちに地図にない道(踏み跡)が頂上まで途切れることなくつながり、それが『今日まで』残されて来たのでしょう?

『今日まで』の意味について補足します。
1950年代前半から1970年代前半くらいまで続いた登山ブームの時代がありました。その時代に、尾根という尾根に、それが登山道であろうとなかろうと踏み跡がつけられました。時去って、それらの踏み跡は、落ち葉とそれと共生するバクテリア類による土壌形成の過程で消し去られて行きました。滝子山東尾根の知られざる人気はその過程を『今日まで』許さなかったのではないか?ということです。

11月27日朝9時15分に初狩駅に集合の予定でした。しかし、中央線が三鷹でストップしてしまいました。I氏は新宿から京王線の高尾経由でやって来きました。I氏は開口一番にハーネスの特売情報を伝えてくれましたので、この稿を借りてその情報を流します。
「昨日、秀山荘行きまして、ハーネス買(コ)うて帰りましてん、安かったですわー、五千円ですねん。ぶら下がって選んだんですわー。」
とのこと。
八王子市在住の、Mさんは中央線が動くのを待つしかなくて、幸いそれほど遅れずに電車が動き出して事なきを得ました。狭山市在住のEさん、は府中本町からタクシーで京王線の駅に出たのだそうです。

9時30分に初狩駅を出発しました。滝子山への一般ルートを歩いて行く途中(駅から10分くらいの所)の右手に神社がありました。
「安全登山祈願のお参りをして行きましょう。」とH講師が言い出しました。
三年前にH講師と一緒に滝子山に来た時は神社なんて見向きもしなかったのに変です。しかたなく社の正面で鈴をならして一円のお賽銭を入れて、
『みんなが幸せになりますように、・・・、・・・、・・・、』
なんてお祈りをしていました。

歩き出しから地図を見なかったのがいけなかったです。ぼくは、神社の建物の左手が東尾根の取り付きだったのがわかっていませんでした。その後も、現在地が地図上のどこかがわからない時間が長く続いて、完全に東尾根をとらえるあたりまでは
H講師に連れられている水鳥の雛の状態でした。

尾根は神社の所から北に向かってなだらかに続き、11時30分に北上する尾根が滝子山東尾根の下部にぶつかる所に着きました。そこから東尾根の上に乗るまでは三十度以上はあるかと思われる急な登りでした。ですが、多くの場面で、細い幹の木が丁度いい間隔で生えていてそれをつかんで登ることが出来ました。手の補助の分足で体重を持ち上げるのが楽に感じて、あえぐこともなくグングン高度を上げました。それはなんと百メートル登るのに十分のペースだったのです。

東尾根をとらえた所で大休止、例によってEさんが果物とおいしいお菓子をお裾分けしてくれました。

道を真西にとって(東尾根だから)小一時間ほど緩い傾斜を登りたまに下り、滝子山直下の三百五十メートルの所からはまたまた三十度以上はある、ちょっと岩っぽい、急な登りになりましした。踏み後があるから安心して進めたけれど、もし無かったらロープを出して慎重に進まなければならなかったでしょう。

午後2時30分、休憩した時間を引いて、取り付きから4時間30分で滝子山の山頂に到着しました。(J記)

| | Comments (0)

November 25, 2005

箱根の山でヤブコギだい

湯河原駅の駅前広場を出て線路沿い方向に右に歩くこと2分の右手、線路沿いの敷地に公営の駐車場があります。一日中車を置いて千円です。この駐車場があるので、『湯河原駅にM氏車を置いてH講師車で箱根峠の登山口に向かう→神奈川県と静岡県の県境の山脈(道はほとんどない)を縦走して湯河原に下山→湯河原駅で解散→M氏車で箱根峠まで戻る→H講師車を回収』するという計画が出来上がりました。11月13日(日)がその計画の実施日です。

コースがほとんど藪に覆われているという前宣伝が効いて、前日近くまで参加メンバーは新入会員のA子さんにH講師とM氏の三人のみでした。
「女の子一人のヤブコギになっちゃうから行かない?」
という半ば強引な誘いに応えて、9月にバックアップ会員になったばかりのS子さんが加わりました。前日の11月12日(土)には北海道帰りのG郎君が参加を表明してきました。G郎君は夏の間、北海道の層雲峡にあるPホテルのフロントの仕事をしていてほんとは九月にはもどるはずだったんです。接客の仕事が好きで現実にその仕事が上手な様子だったのに加えて、何日も何日も、超深夜まで勉強して北海道と層雲峡あたりの地理を身につけちゃうようなタイプの人なので、初めてやったとは思えないほどに上手にフロントの仕事をこなして見せちゃったようです。それで、ホテル側の経営者サイドの人に本気で引きとめられちゃって、ホテルが暇になる11月になって、やっと帰って来れたんだそうです。夏は北海道の旅の最盛期、ホテルは毎日二千人以上のお客さんがいたそうです。G郎君がフロントの仕事してる様子を想像しつつ、その活躍をねぎらいたいです。

さて、湯河原を出発したH講師車は箱根峠から数百メートル手前の路側(箱根クラカケゴルフ場の南の縁あたり)に駐車しました。

九時に出発、車を置いたところから稜線に向かって、初めからヤブコギでした。二メートルを越える竹が十センチ四方に四本ははえているという高密度の藪でした。視界はまったくなく手(軍手をつけてる)と体でバリバリとかき分けて進むしかない状況でした。小さい支尾根をとらえて高い方へ高い方へと進み鞍掛山の山頂につきました。そこは、ちょっとだけ展望があって五百メートル南にある無線中継所の電波塔が見えました。

さらにバリバリと竹のヤブコギは続きます。その大半をH講師とG郎君が引き受けていました。入会して1年、バリバリの現役バックアップ会員のS子さんの出番があるだろうと思って期待していました。S子さんもやる気まんまんだったと思います。
それで、S子さん、前を行くH講師に
「トップを変わりましょうか?」と申し出ました。
「竹が顔にはねるから、トップに立たなくていい。」とS講師は答えました。
『カックイイ…』と記者は思いました。

視界が開けて、無線中継所着11時、大休止をしました。そこから南東の尾根をとらえて、熱海から上って来る国道に降りました。国道は切り通しになっていて、側壁はほぼ垂直でコンクリートで護岸されている所だらけです。なだらかな斜面で歩いて国道に降りられるのはこの尾根だけ、もしこれをとらえることに失敗したら懸垂下降(だからこのコースは8mm30mロープは必携)で降りるか往路をもどるしかないのです。いくつか資料を集めそれと地図を読み込んで、事前にルートを見抜いて、それでもって見えないヤブの中でそのルートをとらえるH講師でした。彼のヤブの山踏破能力はすごいです。

13時、再び県境の縦走路に戻りました。きびしいヤブが続きます。五百メートル進むのに一時間くらいかかっていたみたいです。単調な地形で現在地がわからなくなって来ました。H講師は大木に登りました(真似してG郎君も別の木に登りました)。そして、右手に小さな人口湖を見てとって、その北西と南東側の縁の二方向から現在地を割り出していました。

15時に地図上の908.2mピークに到達しました。実はそこは本当の908.2mピークの50メートル手前に埋められた意味不明の四角柱の石(上に十文字の刻みあり)だったのです。その場所は視界もなく、これ以上縦走を続けると時間切れになることが確実になって来ていました。サブリーダーのM氏が、湖の北西の縁が切り通しになってないのはさっきの木登りによる目視でわかっているのだから人口湖に向かって進路を変更しようと提案しているのが聞こえました。
『ヤブの中を戻るのはやだな、でも仕方ないな!』と参加者はみな思ったと思います。

リーダーのH講師は縦走路の南方向側の偵察をM氏に依頼しました。偵察が済むまで、メンバーは大休止です。ところが、大休止にはなりませんでした。M氏は偵察から10分もしないで戻って来たからです。
「このちょっと先はパラグライダーの練習場になってる。そこから簡単に道に降りられるよ!」と報告して、下の前歯の凸凹の歯並びのギザギザを見せてニタリと笑いました。
『やったやった、ヤブコギから解放された』

大休止の後、出発、すぐに本物の908.2mピークの三角点を発見、そこから30メートル先は竹が借り払われて草原の斜面となり数機のパラグライダーが飛び立つ練習をしていました。コーチらしい人に聞いたら、
「風が強いから飛び立つことはしないよ」
ということで、ちょっとがっかりしましたが、とにかくヤブのない草原を歩けるのがうれしかったです。10分ほど西に下り国道に出ました。

「車の往来が頻繁だから、みんなで行かない方がいい!」と言って、メンバーをそこに待たせて、H講師は一人歩いて車の回収に向かいました。

小一時間ほどしてH講師車が到着、H講師車に乗り込み、奥湯河原温泉の日帰り入浴施設「こでん」でヤブコギの汚れをきれいにしました。入浴時間は一時間くらいでした。それでも女性二人は時間が足りないようでした(と思ったら違って、隣の煎餅屋さんに行っていたのでした)。同じ湯河原の日帰り入浴施設としては湯河原の東にある「ゆとろ」が有名だけれど、ここ「こでん」はほとんど知られていないらしくて、空いていて、落ち着けて良かったです。

湯河原駅に戻り解散。A子さんがざらめ煎餅を二枚づつみんなに配っていた。ざらめ煎餅が大好きなんだそうだ。

車で帰るH講師と次の日は幕岩に行くというM氏とG郎君と別れて、17時30分に車中の人となりました。(J記)

| | Comments (0)

November 22, 2005

街の子さんと雪の山

この八月から山を始めた街の子さんは、中学校の林間学校で山みたいなトコロに行って以来○○年間、まったく山というトコロに行ったことがなかったそうな!
それでもって、山以外のアウトドアスポーツの経験も、まったくなくて、ただ、ただ、自分の生まれた街で過ごしていたということだ。

時として思い余って、車に凝り出しちゃって、ポルシェを乗り回したことがあったんだそうな!
「ホント・・・ウソ・・・(意味不明)」だそうな!

それで、その街の子さんは八月中旬の時点では一つも山の道具は持っていなくて、またまた思い余って、山を始めることになった八月末、初めて買った山道具は沢登りシューズと毛糸の靴下だそうだ。

九月になって軽登山靴と雨具と磁石とヘッドランプを買い、ザックはどこかで借りて来た。

オット、一昨日の鷹取山の岩場で見たらカラビナ二つとスリング二つ持っていた。またまた、「ホント・・・ウソ・・・(意味不明)」だそうな!。

さて、この街の子さんが本格的な雪山登山を始めようと思ったらどうなるのだろう?ガイドさんに連れて行ってもらえばたいていの山には行けちゃうけれど、装備は自前で揃えなくてはならない。

Timtamのホームページの「山の道具」のページを開いて必要な装備をコピペしてみよう。ついでに安くみつもって値段を計上してみよう。

登山靴(最も重要なので奮発して、最新のソフトブーツにする)///\50,000
スパッツ(ロングスパッツ、前開き、ゴアテックス加工)///\4,000
サングラス(プラスチックの耳掛けのやつ)///\2,000
ヤッケとオーバーズボン(冬使用のフードつき、ゴアテックス加工)///\25,000
雪山用帽子(ゴアテックス加工)///\5,000
目出帽子(フェイスマスクでもOK)///\3,000
オーバー手袋(ミトン型の安価…ICIオリジナル)///\3,000
毛糸手袋(暖かいやつはけっこう高い)///\4,000
毛糸手袋予備(日本の雪は湿ってるから予備が必要)///\4,000
クロロファイバイー下着上下(濡れても暖かい)///\6,000
アイゼン(十二本爪アイゼン…カジタ:国産)///\15,000
ピッケル(縦走用65cm→身長170cm対応…カジタ)///\15,000
ピッケルプロテクター(これがないと電車内で顰蹙を買う)///\400
テルモス(魔法瓶のこと、500cc入る小さいタイプ)///\2,000
日焼け止めクリーム(2月くらいから必要になる)///\300
-----------------------------
計138,700円だけど、これ以上にもっとお金はかかるはずだから、なんだかんだで200,000円はぶっ飛んで行くだろう。

だから、『中高年のお金持ちで暇のいっぱいある人でないと雪山には行けない』なんて結論が出てしまう。事実、現在の山は夏も冬も中高年のお金持ちで溢れている。

変だよね、どうして30年くらい前までは中高年でなくて青年達が山に溢れていたんだろう、その理由はいくつかあって
1、登山人口が多かったから山の道具を先輩や友達から借りたり、借りもらいしたりしやすかった。
2、そのころはヒマラヤ登山をみんなが目指していたから、夏から冬山装備(皮製の重登山靴、厚手のウールのニッカボッカ、ウールの厚手のカッターシャツ、雨具は冬用のヤッケとビニールポンチョの併用する)を揃えてた。
3、冬はスキー人口が多かったからスキーの用具を転用出来た。
4、装備が悪いからそんなに多くの人が雪山に行ったわけではなかった(雪山に行くと称してスキーに行っちゃう)。
5、装備が良くないから体力の落ちて来た中高年は雪山には来なかった。
6、などなど・・・。

話しを戻して、例の街の子さんは中高年ではないと自負している。それだからそんなにお金をかけて雪山の装備は買わないのだ。

体力もないし、経験も少ないし、装備もないし、この冬は岩登りでもやって(岩登りは乾燥した晴天が続く冬が旬だから)るのが正解だろう。なんてことを伝えると、かえって雪山へのあこがれで舞い上がってしまって、はてさて、なんとか方法を考よう。

登山靴→軽登山靴なら持ってる。
ヤッケとオーバーズボン→雨具上下なら持ってる。
雪山用帽子→実家に戻って両親や親戚がスキーに行った時に使った耳の隠れる毛糸の帽子を調達する。
目出帽子→目出帽子が必要になる山には登らないことにするか、マフラーで代用する。
毛糸手袋予備→こまめにオーバー手袋を使って手袋を濡らさなことにする。
クロロファイバイー下着上下→ウールのセーターとナイロンストッキングで代用する。
アイゼン→六本爪アイゼンなら4,000円で買える。
ピッケル→スキー用のストックを実家で調達出来るかも知れない、だめなら\2,000くらいで買う。
テルモス→実家にもどり台所をさぐって調達する。
サングラス→親戚のキザなおじさんから調達する。
日焼け止めクリーム→親戚のおしゃれなおばさんから調達する。

そうすると買わなくちゃいけないのが
4,000円…スパッツ
3,000円…オーバー手袋
4,000円…毛糸手袋(暖かいやつはけっこう高い)
----------------------
計11,000円で雪山用具がそろうことになる。

これで、東京の近郊の山(東京に雪が降った週の週末が狙い目)から北八ヶ岳までは十分にこなせる。アルペン的風貌の岩っぽい雪山でなくて頂上近くまで森に覆われているフカフカ雪の山を楽しむといいよ!

またまた&また、「ホント・・・ウソ・・・・(意味不明)」だそうな!(J記)

| | Comments (0)

November 11, 2005

岩場への復帰大作戦

こんにちはスキーヤーのYosidaと申します。Timtamの会員ではないのですが、M浦さんからの依頼を受けて投稿します。よろしくお願いします。

私は11月の終わりから翌年の5月まで、各地のスキー場に出かけて行くとあるスキークラブの運営委員をしています。私達のクラブには夏になってもスキーをする人もいますが、その時期にはクライミングをする人が多くいて、私もその一人です。夏と冬でやることが違った方が面白いと思うからです。

今年の1月にポールの練習をしていたらいきなり腰が痛くて歩けないほどになってしまいました。医師の診断は「腰椎閉塞症」でした。腰椎がつぶれて椎間板が足の神経を刺激して痛くなったりしびれたりするというものです。スキーのやりすぎが原因だろうと医師も私も思っていましたが、150名(実動は60名)いる私のスキークラブの会員(内70名もSAJ指導員資格の保持者がいるんですよ)のだれも私と同じような症状になった人がいないのです。

クライミング関係の友人のKitadeさんに話したら、彼のクライミング仲間に私と同じような症状になった人が何人かいるとのことでした。激しいトライとそれにともなう衝撃的な墜落をくりかえすクライミングのビレーをするとその衝撃がビレーヤーの腰に瞬時に集中して、それで腰を痛めやすいというのです。そういえば昨年の夏場はKayさんとかYos君とかけっこう体躯の大きなクライマーのビレーをよくやっていました。彼らはルートの研究をしたり休んだりする時間をかなり長くとりながら日暮れまで飽きることなくトライを続けるパワーマンです。私は2~3本トライすると出来上がってしまってついつい大好きな昼寝をしてしまいます。目が覚めていきなりビレーした時の激しい墜落・・・、思い当たる瞬間があります。

3週間の入院と数ヶ月のリハビリとおとなしくする生活が続きました。この11月になってようやく数十分は山道が歩けて、トップロープでならクライミングが出来るまでに回復しました。たぶん5.10aくらいは登れそうなので、その辺が登りたいだろうM浦さんやKitaoさんを誘いました。バックパッカーのKitaoさんは紅一点、場をほのかに明るくするタイプの人です。さらに5.11が楽勝だけどシャイでなかなか登らないMoriさんを誘って万全を期しました。こうして、なんともやさしい雰囲気、間違ってもランジなんてしない4人のメンバーで越生の黒山鉱泉の所にある聖人岩に行くことになりました。TPOに合わせてメンバーを構成するのはスキークラブ運営委員である私にとっては得意の分野なのです。

さて、11月5日土曜日、聖人岩行の当日がやって来ました。

朝6時に流山のガンバウォール前の駐車スペースに3台の車がほとんど時間差なく到着しました。1台は私、1台はM浦氏、さらにもう1台はKitaoさんを乗せたMori氏車でした。車がついたのに気付いて出て来たガンバウォールのオーナーの渡辺さんと挨拶を交わして、2台の車をガンバの前の駐車場に置かせてもらい、渡辺さんの見送りを受けて、私の車1台で出発しました。運転は私です。助手席にM浦氏、そして後部座席にMoriさんとKitaoさんが乗っています。MoriさんとKitaoさんがなんとなくウマが会っている感じなのを見逃さない座席配置です。カーナビの行き先を黒山鉱泉にセット、自慢のスキーヤらしい切れ味鋭い運転で飛ばしました。バックパッカーのKitaoさんが自然のフィールドでのいろいろな体験をトウトツと話し、寡黙なMoriさんがいつもより多く相づちを打ちます。前の座席の二人は前だけ音を大きくしたFM放送を聞いて黙しています。

2時間かからないで黒山鉱泉に着き、東吾野に向かう峠越えの道方面に数分行った所の路肩、デリカワゴン4WDの後ろにスペースを見付けて駐車しました。デリカワゴンのリアーウインドウにM山塾と書いたステッカーを発見しました。M山塾は4年前までM浦氏が所属していたと聞いています。
「ヤバイ、M山塾が来てるから知り合いがいるかも知れない」
とM浦氏はつぶやくように言っていました。なんでヤバイのか言わないけれどMoriさんとほぼ同じくらいシャイなM浦氏だからたぶんクライミングしている姿を見られたくないのでしょう。ロープや登攀具をザックに詰めて、沢ぞいに10分ほど登り、沢から離れて急な登りをさらに10分で聖人岩につきました。聖人岩は高さ20メートル幅70メートルでわずかにオーバーハングしている石灰岩の岩場です。岩場の下一帯は8メートル×70メートルの横長の広場になっていて快適です。カチャカチャと登攀具を準備してる音がする方を見たら、M山塾の人が二人見つかりました。
「いっぱいいなくて良かった。」
とM浦氏はつぶいて、その二人に声をかけていました。

その二人が5.8のルートにとりき、もう一つの優しい5.7のルートにも先行パーティがいたので後から来た我々はウォーミングアップするやさしいルートがなくなってしまいました。Moriさんは例によって寡黙でおとなしくて、なだめないと登ってくれないので、ここはM浦氏の出番だとおだてて、岩場の真ん中にある「おっとりマミちゃん5.9(これはからい)」を登ってもらいました。ビレーは私がしました。
『M浦氏の登り方なら大丈夫』
と考えてのことでした。沢登りを得意とする彼は激しく落ちるようなことはしなくて静加重静移動のクライミングに徹しているからです。M浦氏は細かいホールドを使ってレイバックしたりしてなんとか無事にリードを終えトップロープを残してくれました。そのトップロープを利用して登らせてもらったけれど、残念ながら何回もテンションをかけてしまいました。昨年、「おっとりマミちゃん」を簡単にオンサイト出来たのに残念です。クライミングは半年も休むと休む前の二段階下のグレードがやっと登れる程度に力が落ちることを身をもって証明してしまうことになってつらいものがありました。

おだてに乗ったM浦氏のリードは続き、「ダイエットシュガー5.10a(これは甘い)」、「風の子カンテ5.10a」とトップロープを張ってもらって登りました。「風の子カンテ」ではテンションを数回繰り返して、腕の筋肉が限界になってしまいました。Moriさんはといえば、相変わらず寡黙で、私が登ってトップロープを引き抜いた後にKitaoさんの新品のロープを持って同ルートに行きKitaoさんのビレーでリードしてトップロープを残しKitaoさんを登らせていました。1日1本登るか登らないかという彼のペースはどこへ行ったのでしょう???。

我々のグループが「風の子カンテ」にいた頃、M山塾の2人が右隣の「梅ごのみ5.10b」を試登していました。試登が終わりレッドポイントする時に、Kitaoさんのロープで登ってもらいトップロープにして残してもらいました。M山塾の二人に「ありがとう」とお礼を言っても彼らはなかなかその場を離れませんでした。「梅ごのみ」のよく見えるあたりでコーヒーなんか入れてくつろいでいました。どうやらM浦氏の登りを見た後で近況報告を交換しようと思っているようでした。それで、二人の方から我々に話しかけて来たり、
「M浦さんの華麗な登りがみたい!」
なんてプレッシャーをかけたりして来ていました。M浦氏は
「加齢な登りは出来ても、華麗な登りは出来ないから」
とかなんとか答えていましたが、トップロープを張ってもらった以上登らないわけにいかなくて、「梅ごのみ」のトライを開始しました。ホールドの位置のアドバイスがM山塾の2人から飛んで、なんとか期待に応えてノーテンションで登り終えました。私は
『昔の仲間の前でノーテンションで登れて良かったね!』
と心の中でつぶやいていました。M浦氏もさわやかな笑顔でそのつぶやきが聞こえたと伝えてきました。

卓上カセットコンロのボンベが使えるガスバーナー(ちょっと大きいけど車の時はいいですよ、カートリッジが安くて、手に入りやすいから)でお餅を焼いて(餅焼き網持参)食べたり、カップラーメンを作って食べたりコーヒーを入れたり、暖かい秋の山の中でくつろいで3時に岩場を後にしました。

その足で黒山鉱泉館に行って日帰り入浴させてもらいました。私は温泉が大好きなのです。温泉を楽しむ秘訣は肩まで湯につからないことです。温泉の達人は足浴とか腰浴をしながら心がどっぷり温泉につかっている状況に出来るのです。次に、越生の「一里飴」本舗の直営売店に寄りました。そこで、車を置かせてもらっているガンバウォールへのお礼を買いました。その後ちょっと渋滞したけれど、3時間かからずに流山に戻りました。(Yosida記)

| | Comments (0)

November 07, 2005

クッキングワールドと鷲津山の岩場

晩秋から早春にかけて、冬型の気圧配置が多くなります。冬型の時には冬の北西の季節風が吹いて、日本海側に雪や雨を降らせ、太平洋側には晴天をもたらします。その太平洋側にある低山は樹木の葉が落ちて、青い空が見えて、暖かな日がさして、蚊やブヨのいない、快適空間に変わります。

冬こそ岩登り&日だまりハイクの季節なんです。

11月3日(木・祝日)は曇りのち夜から雨の予報でした。朝6時、M講師率いる岩場偵察隊4名は東名高速を沼津に向かってトコトコ(軽自動車なので制限速度は80Km)走っていました。御殿場、沼津間は事故のため通行止めの表示が出ました。厚木で進路変更して小田原厚木道路から熱海に出て、さらに伊豆の脊梁山脈を山伏峠で越えて大仁には10時を過ぎて着きました。

大仁から林道に入り城山山頂付近の路側に車を止める頃に曇りの天気予報とか好天の特異日文化の日とかいう期待は裏切られてしまいました。空から大粒の雨がジャンジャン降って来たのです。仕方なく、雨具を着て、岩登りの用具は車に置いて、城山の山頂経由でクッキングワールドの岩場の偵察に向かいました。

高さ数メートルの岩場のくせに終了点は城山の山頂の景色を借景するので高度感がありすぎでした。眼下に大仁の街と鹿野川の流れを見て身がすくみます。
「ヒエー!」とか
「超コェー」とかそれぞれに発声しておりました。
岩場の取り付きは日だまりになるような広場がありませんでした。残念!ルート図を出して確認しました。
『5.9が一本、5.10aが二本5.10bが一本で残りは5.11以上のルートかな・・・。』
『支点の整備状況は非常に良いな・・・。』
『白っぽい火山岩(噴出岩)で軽石よりはやや堅いかな・・・。』
『角の尖ったホールドはほとんどなくてスローパーみたいなのっぺりしたやつばかりだ・・・。』
【初心者対象の講習会が○日と○日にあります。】なんて看板が出ていました。地元のクライマーらしき人が二人いたから聞いてみました。
「ここの岩場は混んでますか?」
「ここで講習をやってる個人のガイドさんが何人かいて、その講習のある時は混んでますよ」とのこと。
「二三人で登りに来てみるにはいいとこかもしんない。けど、チャートクライマーには向かないかな!」今回の偵察メンバーの一人のT氏が感想をもらすと、みな暗黙で同意したらしく、
「次に行こう!」とのM講師の言葉と城山山頂に戻ろうとするメンバーの歩き始めはどちらが先かわからないくらいでありました。

ちなみに偵察メンバーの岩登り技術を育んだ、奥武蔵の日和田山の岩場や東吾野の岩場、奥多摩のつづら岩や越沢(コイサワ)バットレスなんかは堆積岩のチャートの岩場です。チャートとは○○ツァイトという外国語がナマってチャートになったそうです(だからチャートは日本語です)。海の中の珪酸虫という虫が堆積して数億年を経て出来る岩です。珊瑚等の化石である石灰岩のカルシウムが珪素と置き換わっても出来るそうです。恐竜の時代の中生代やシーラカンスの古生代あたりに出来た岩で堅いものが多いです(風化すれば柔らかくなるけど)。

城山を後に国道○○号を沼津に向かいました。沼津アルプスの末端の山である鷲津山を目指します。国道414号線を北上し、ガイドブックに詳しい記載がない中なんとなく岩場のありそうなあたりで右折して、静浦小学校校門前の路側に駐車しました。北側に小高い山があって岩場らしきものが見えます。小学校の敷地の北の辺に沿ったの道を東に向かい、T字路に出てそこを左に曲がり、坂を登って行くと舗装路は行き止まりました。その、行き止まりからさらに上に向かって山道が続いていました。その山道を登ること数分でケルンを発見、たぶんそれと見抜いて左に踏み後を辿りました。十分ほど急な登りが続いて、いきなり視界が開けて、岩場の下の広場に出ました。

西日があたって暑いくらいの明るい広場で、四人の地元クライマーが登っていました。広場の北東側の正面は高さは15mくらい幅50mくらいのメインの岩場です。右に左に偵察していくつかルートを確認しました。

火山岩はリュウモン岩(白色)、安山岩(灰色)、玄武岩(黒色)の三つに大別されますのでたぶん安山岩だではないかと思われます。城山と同じ岩に見えますが、鷲津山の方が堅そうです。

ちょっと地元クライマーがいるだけなのに臆しちゃった、我らチャートクライマーはメインウォールから左に1分ほど行った所に、だれもいない三級の岩場(高さ10m)でまずはウォーミングアップしました。岩場の上からは海が見えます。広大な海と漁港と沖行く船の白い航跡の作る景色は城山のオドロオドロしい景色に震えた我々に癒しを与えてくれるものでした。

三級の岩場からさらに三分ほど行った所に涼しい日陰の岩場を発見、5.9と5.10aのルートがあるのでトライしました。「偵察で怪我はしたくない!」とかM講師はつぶやき彼の自慢のクワガタ虫型の高速セットが出来るヌンチャク(クイックドロー)をゾンデ棒(雪崩捜索用)の先にテーピングテープでくくりつけ、上の支点にプレクリップしました。

プレクリップ用具は海釣り用の釣り竿で自作するのが良いのですが釣りをやらないM講師はゾンデ棒を利用するのは回生のアイデアであったらしくて。
「これがあればトゥエルブだってサーティンだって登れちゃう!」と笑顔満面、得意満面。
『ただのチョンボ器じゃない・・・』と言おうとして止めた、M講師ももう歳だ、少しは労ってやらねば。

二つのルートを四人が交互に登って、メインの岩場の左のはじの5.10aを登って帰ることにしました。例によってプレクリップして登ったのですが、プレクリップして良かったです。5.10aなんてぜったいウソで歯が立つ者なし。けっきょくプレクリップ人口登攀で終了点まで行きヌンチャクを回収して終了16時となりました。

「安山岩にサンドバックされちゃったね。」
「岩が柔らかいからグレード変わっちゃうんだね。」
「こんどの土曜日は石灰岩の岩場に行こうや。」
「そうしよう、そうしよう」
などといいながらもときた踏み後をスゴスゴと
戻るチャートクライマー達はそれなりに意気盛んです。(J記)

| | Comments (0)

« October 2005 | Main | December 2005 »