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January 27, 2006

アイスクライミング、チョイカミの勧め

アイスクライミングのシーズンです。1月21日(土)の霧積温泉周辺に続いて2月4日(土)には笛吹川東沢で講習会が行われます。

冬の山に出かけて行けば、氷に出会うのはあたりまえ、でも一般コースで出会うような氷はピッケル一本と十二本爪アイゼンとアイスクライミングの技術があれば突破出来ます。それで、アイスクライミングの技術を年に一度くらいはトレーニングしておきたいと思っています。

Timtamのアイスクライミングをするゲレンデは、太平洋側の気候に属する内陸部にある山で、森の多い山で、その山の中腹あたりの谷の中、が多いです。そこは気温こそ低いですが激しい風雪にさらされない所です。青い空の下、ほぼ無風の場所でのアイスクライミングは楽しいです。ブルーアイスを見るだけだって素敵なのに、それを登ってしまうのですから「体験の素敵さ」はより倍増されることとなるでしょう。

アイスクライミングの出来るシーズンは限られているし、用具が高価で、しかもせっかく揃えた用具は二年もしないうちに改良され形が変わってしまいます。用具の改良を追って行くには、なみなみならぬ決意が必要です。そこで、自分で用具をそろえるのは止めにして、年に一度か二度、Timtamの講習会に参加して、用具は、チャッカリ、無料で貸りて、「チョイカミ」で楽しむのがいいと思います。

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僕のアイスクライミングの思い出をたどってみましょう。
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テレビのニュース番組で、日光の雲竜渓谷の氷った滝をアイスメスという道具を使って登っているシーンを見てアイスクライミングというのがあることを知りました。それは35年も前のことだったと思います。

アイスメスというのはカクテルを作る時に氷りを砕くピックみたいな感じのものです。それを左手に持ってガツガツガツとと氷りに突き刺してホールドを作るのです。その左手をたよりに右手に持ったピッケルを振って高い地点にピックを突き刺し、それに頼って登ります。右肘が曲がり切る高さまで登ったら右手をブロックして、左手のアイスメスでガツガツガツとやってホールドを作るという手順です。

アイスメスは効率の悪い道具だったようで、左手にもピッケル(又はアイスハンマー)を持つダブルアックスという技術にすぐにバトンは移りました。ダブルアックスを最初に考えたのはアメリカのシュイナードという人です。彼の書いた技術書にはピッケルのピックのカーブはピッケルを振った時の円弧と同じ形であるのが理想と記されていました。シュイナードはその後、シュイナードという登山用品会社を作り、それを大きく育てました。岩登り用の安全ベルト(ハーネス)も制作販売していました。そのハーネスのバックルの所でベルトを折り返さないで使った人が事故を起こして、裁判になりました。
曰く、「バックルの所でベルトを折り返せとマニュアルに書いてないので賠償責任はシュイナードにある。」
会社シュイナードは倒産しました。そしてブラックダイアモンド社として再起し現在に至っています。

シュイナードの言うようにピックのカーブを円弧と同じ形にすると、氷りに刺さる力は強くても、刺さってからピックの一番先端の一点にクライマーの体重が集中します。そこに圧氷現象(圧力をかけると氷りが溶けるというふしぎな現象)が起きて保持のポイント位置が移動します。

22年ほど前にピックのカーブを円弧と反対に反り返る形(バナナピック)がたぶんフランスのシモン社から発売になりました。ピッケルの最先端だけでなくて次ぎ次ぎにあるギザギザなきざみにも協力させて保持力を高めることが出来ます。手の指をホールドにかけて力をかけるると円弧と反対に反り返ってホールドと指との摩擦の面を増やして保持力をアップさせるのと同じ原理です。

バナナピックはアイゼンの形状にも影響しました。出刃十二本爪アイゼンの出刃の部分が一本のバナナ型の縦爪(モノポイント)になったものが開発されました。モノポイントはは保持力をアップさせると同時にけり込む上下左右の角度の範囲を大きく広げました。結果としてアイスクライミングで「振り」を意識した「ムーブ」をすることが可能になったのです。

バナナピックと同時期にイタリアのロウ社からチューブピックをつけたアイスハンマーが発売されました。日本でも、カジタ社がセミチューブピックを作りました。チューブにすることで、強度を保ってピックの先端部分の鉄板を極めて薄くすることが出来ます。結果として、氷りを破壊することが少なくてピックの打ち込みが可能になりました。

しかし、チューブピックは誤って岩を打つと、薄い鉄板で出来たピックの先端がめくれるように曲がってしまって、以後その性能が極端に下がってしまいます。またピックを打ち込まずに引っかけるだけで使う方法には向きません。クライマーの支持は数年以内にとどまり、現在はみかけなくなりました。

ぼくにアイスクライミングを教えてくれた室井由美子(ボルダラーの室井登喜男クンのお母さん)さんが右手にシモンのシャッカル(バナナピック)、左手にロウのアイスハンマー(チューブピック)を持ちさっそうと(どちらかというと慎重な感じ)笛吹川・東沢の側壁に発達した氷りを登っておられた(1984年2月)のことを思い出します。

ピッケルのシャフトが真っ直ぐな棒だったころ、ピッケルの打ち込みと同時に手の拳を氷り打ち付けて痛い思いをすることが多かったのです。シャフトを「く」の字に曲げます。「く」の右側が氷り側「く」の左側がクライマー側です。「く」の上にピックがあってこれを氷りに刺すと「く」の下のシュピッツェ(石突き)の部分が氷りに当たるので、拳を守ることが出来ます。シャフトを曲げてしまうという逆転の発想を思いついてのは我がN.I.A.J(Timtamの講師が入っているガイド組合)の溝渕氏(フルネームをすぐに思い出せませんごめんなさい)です。彼は有限会社ミゾーを設立、ミゾーV1というバイルを製造販売しました。ミゾーV1は世界中のクライマーの指示を得ました。以後のアイスクライミングアックスのほとんどは「く」の字のシャフトを持つものに変わり、なんと今シーズンになっては縦走用のピッケルにもシャフトが曲がっているものを見かけるまでになりました。

ピッケルのシャフトの改良は進み電車のつり革の持ち手のようになってリーシュ(リストバンド)がなくても長く持っていられるような形のものまで出現しました。つり革の持ち手の部分に石突きがついていない(つける工夫は出来ると思う)ので、そういうアックスを杖としてつくことが出来ません。登攀の終了の後、傾斜の緩い氷りの上を歩くときとか、杖として使うことが出来ませんのでアイスクライミング競技会(海外で多く行われると聞く)仕様というべきです。

ピッケルだけでなくアイスハーケンの改良が進んできました。イボイノシシ&スクリュー→→ハーフスクリュー&スナーグ(チューブ)→→チタンスクリュー→→チタンスクリュー(内部樹脂加工、スクリュー回しつき)→→・・・。

ここ30年で登山用具はどんどん進歩しました。ゴアテックス製品、サーマレストマット、レッグループハーネス、などなど、僕はその恩恵にどれだけ預かったかわかりません。その中でもアイスクライミング用具の改良進歩のペースは最速のような気がします。その改良進歩をもし個人で追いかけていたら大変です。2年ごとに、アックス2本とアイゼン一足とハーケン数本とを更新出来るくらい金銭的にゆとりがある人は少ないです。それで、我がTimtamはアイスアックス2本(シャルレクオーク)とチタンスクリュー3本(スクリュー回しつき)を本年は購入しました。それをアイスクライミング教室の参加者みんなで使い回しにするという作戦です。アイゼンはどうするかというと、ツエルトを張って暖を取り、一つあるのモノポイントアイゼンのサイズをその中で調節してこれもみんなで使い回すのです。名付けてチョイカミアイスクライミング。(文:M浦)

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困ったとき 思い出そう

ダブルアックス バナナピック

くの字シャフト モノポイントアイゼン

逆転の発想 理論の裏付け

まず逆さまにして 考えてみよう

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January 20, 2006

22回目の富士山雪上訓練

二十一年の間、毎年かかすことなく、十二月になると富士山の五合目に行き雪上訓練をしてきました。雪山シーズンの開始にあたり、ピッケルとアイゼンを使う雪上技術の確認をするためと、寒さに体慣れさせるためです。

しかし、ここ数年、富士山五合目には雪が少なくて、雪上訓練は形ばかりで、寒さへの体慣らしがメインの状態でした。原因は十二月が暖かすぎたためです(今シーズンは違います→後述)。特に昨シーズンは十二月中には一点の雪さえ見あたらない状態でした。それで、多くの山の会は谷川岳の天神平に訓練の場を移したようです。でも、我がTimtamには二十二年目のこだわりがあります。やっぱり富士山ということで、今季は雪が積もる一月まで待つことにしたのです。

一月の第一週は正月の長い休みだから訓練に使うのはもったいないからパス。第二週も連休だから同じくもったいないけれど、そう考える人が多いわけだから空いているはずです(雪山登山者の多くは八ヶ岳に行っている)。滑落停止を練習すると翌日はかなりの筋肉痛になるから、訓練を計画してる会があっても三連休の初日と二日目を使い三日目は休もうとするだろう。それで、日程を1/8(日)昼発~1/9(月・祝日)に決めました。

富士山の属する太平洋側の山ではゆるい冬型だと冬晴れの快晴になります。きつい冬型ならば雪が降りますが、風が強くて(富士山には樹木がないので)積もらずに吹き飛んでしまうのです。富士山に雪を積もらせるのは日本の太平洋側を低気圧が通過して行く場合です。つまり、東京に冷たい雨が降るとき富士山に雪が積もるのです。それで今シーズンの十二月はというと、冬型が強い日が多くて、気象庁が観測開始以来最多最高の大寒波が到来しました。『強い風に飛ばされて富士山に雪が無い!』とNHKの朝のニュース番組で取り上げられるほどでした。それでも、一月に入ると富士山にも待望の雪が積もり、
「馬返しから五合目まで雪の上を歩いて行けるよ。でも五合目の雪はそんなには多くないよ!」
と佐藤小屋から電話連絡が入りました。M講師もH講師も雪が積もる場所を二カ所知っているのでなんとか雪上訓練が出来るようになりました。

1/8
富士吉田の駅に13時30分に集合しました。メンバーは六人です。マイカー二台に分乗して馬返しに行きました。馬返しにはフロントガラスの右に『雪上訓練様』と掲示したマイクロバスがエンジンをかけて乗客の帰りを待っていました。ツアー会社が雪上訓練を企画する時代なんです。バスに乗ってたくさんの人が来ていても8日には帰ります。なんとなくニンマリとしてしまいました。

馬返しから歩き始めました。衣類調整タイムを含む途中三回の休憩で五合目の佐藤小屋に到着しました。時間は16時40分、小屋泊の三人とテント泊の三人に分かれました。テント設営の時間を考えると富士吉田駅13時30分は遅すぎました。来シーズンは集合時間をもっと早くしなければなりません。

小屋には○○倶楽部隊16名が先に入っていて我々のメンバーを入れても19名でした。○○倶楽部隊の食堂スペースを使っての会合がなかなか終わらずで、小屋の食事の支度が出来たのは19時を回っていました。食事の後は全員で宴会。宴会が終わってからテント訪問に行きました。テント隊の三人は夕食が終わり、宴会も終わり、まさに寝ようとする所でしたが、強引に引き留めて、再度宴会を始めはしたのですが、テントの中に長くいるのはつらくて21時前に小屋に退散しました。

1/9
小屋の食事を済ませて待っていました。七時半にテント隊が小屋にやって来ました。メンバーみんなで五合目のお中道を西に向かいスバルラインの五合目終点の方に向けて歩きました(○○倶楽部隊は六合目の方に行っているので五合目は貸し切り!)。

いつも雪のある所に到着、まずはキックステップの練習、でもこの場所はまだ日が当たってなくて、風も強くて、キックステップの練習は30分ほどで終了してしまいました。

さらにスバルライン方面に歩いて、第二のいつも雪のある場所に到着、日当り良し風弱しの好条件でした。でも、そこは通り過ぎてさらに西に向かい小御嶽流しまで行きました。10時前の景色の良い内に南アや北アの山脈を見に行ったのです。

景色を楽しんでから、例の暖かくて雪のある所まで戻りました。アイゼン歩行、耐風姿勢、ショートロープ(引かれている人はわざと転ぶ)、滑落停止、と練習メニューを一気加勢に二時間ほど(もちろん休みを入れながら)行いました。

12時を回ったので、佐藤小屋の方に戻りました。戻る途中に三メートルほどのボルダーと二メートルほどの凍った斜め滝があるのでアイゼンを履いての岩場の通過とシングルアックスでの氷の斜面を突破する練習をしました。13時30分に小屋に戻りました。

小屋の鍵を締める瞬間の佐藤さん(小屋主の息子さん)にいいタイミングで出会いました。
「じゃあ、また来年!」
と二十二回目の挨拶をし、一気に馬返しに下りました。(文:M浦)

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January 12, 2006

奥秩父クリスマス縦走

2005年の12月23日、24日、25日は天皇誕生日と土曜と日曜が重なり三連休になりました。その中にはクリスマスとクリスマスイブが含まれています。こんな三連休は家族や恋人と街で過ごすのがいいみたいです。ケーキを食べたり、映画とか音楽会とか舞台とか行ったり、お食事、プレゼント交換、夜のイルミネーション、クリスチャンでなくても教会・・・。

だのに、Timtamの予定表には講習会が入っていました。しかも、スキー場でのんびりホワイトクリスマスなんてのじゃない、それは、奥秩父の東半分の縦走、なんと渋い、玄人好み。「これは参加するしかないじゃないか???」

23日朝、
塩山の駅に集合しました。メンバーはIn氏とHo氏とMa講師と取材同行の私Juの四名でした。駅前で団体装備の荷分けをしました。 In氏は軽量化が甘いようです。ガスボンベ二つとコンロ1台しか団体装備が分けられていないのに75㍑ザックが満杯です。夕食にレトルトのおでん、非常食にゆでてないスパゲッティ300gなど重くてカサバル物を多く持ち込んでいるのです。

Ho氏のザックには共同装備なので持って来なくて良いことになっているガスコンロとボンベとツエルトが入っていました。ちなみに、ガスコンロとボンベは一つのテントに二台あれば良いのです(一台だとそれが故障すると予備がない、コンロが無ければ水が作れないわけで急ぎ撤退するしかない)。この十年、以下の①~④などの理由でコンロの台数制限の計画は頓挫することが多くなりました。今後のテント山行では食料・コンロ・燃料・コッヘルは各自持参することにして、コンロやコッヘルを持ってない人は講師と共用することにした方が良いと思います。
①軽量で高性能のコンロが安く手に入る時代になった。
②コンロとボンベぐらいなら大して重くないと思う人が多い。
③食料計画がなくて全食各自持参という山行形式が多くなった。
④人間は火を使う動物で火を個人で持ちたいという基本的な欲求がある。

テントの下に敷く銀マットにも同じようなことがあります。五人のテントに五枚の銀マット(90cm×180cm)がそろうことも珍しありません。カサバル銀マットだけにこちらの方が対応が難しいかも知れません。

運転手:「どこまで行くの」
Ma: 「雁坂トンネルの入り口の広い駐車場までお願いします。」
Ma講師は値引きの交渉もしないでさっさと荷物をトランクに入れ始めた。塩山駅前の峡東タクシーは何度もその仮眠所に泊めてもらったことがあるので値引き交渉する気が起きないのでしょう。でも、乗り込んだタクシーの正面にかかげた運転手の名札の上には甲州タクシーと書いてありました。
Ma: 「甲州タクシーさんの営業所はどこにあるんですか?」
運転手:「駅前ですよ」
Ma: 「駅前というと峡東さんと塩山タクシーさんしか知らないけど?」
運転手:「ホラ、塩山市が合併して甲州市になったでしょ!それで、社名変更して甲州タクシーになったんですよ!峡東タクシーよりはお客さんにわかりやすくなって良かったですよ!」

雁坂トンネルの入り口でスパッツをつけて歩き出しました。折からの寒波のおかげで途中に横切る沢はどこも凍っていました。一カ所、2mほどピッケルを打ち込んでアイスクライミングまがいのこと(アイゼンはつけてない)をしなくては突破出来ない所があったりしたけれど、全体には順調な歩きで四時間ほどで雁坂峠に着きました。

目指す雲取山方面への縦走路には30cmほどの深雪が乗っていてトレースはありませんでした。 小屋の近くの水場を当てにして雁坂小屋に下りました。予想どおり雁坂小屋の水場の沢は全面凍結していて使えずでしたが、雁坂小屋に冬季解放部屋があることがわかりそこに泊めてもらうことにしました。

冬季解放部屋のストーブは針金で堅く閉じられていました。ピッケルを使って針金をこじあけることは出来るのですがそれは遠慮しました。ストーブが無ければ小屋の中は冷蔵庫の中と同じになるので土間にテントを張り、雪で湿らない快適なテント場とさせていただきました。

夕方から冬型が強まり、翌24日いっぱいまで粉雪が降り続きました。

24日
小屋の中でテント泊の荷物をパッキング(快適)して深雪の縦走路を東に向かいました。古礼山、雁峠(がんとうげ)、笠取山と次々クリア、笠取山の登りの手前に荒川と富士川と多摩川の三つの川の分水嶺となっている小山を通過しました。秘密の小さな小山みたい感じでいい雰囲気の所でした。

笠取山を越えたあたりでここまでの道のりを来るのにコースタイムの1.5倍以上の時間がかかっていたことに気がつきました。次ぎに到着するだろう唐松尾山のピークに行けども行けども到着しないのです。このあたりではコースタイム2倍の時間がかかっていました。

テルモスのお湯を飲み尽くし、バテバテで唐松尾山に到着将監峠(しょうげんとうげ)に下りました。ここで時間切れ、さらに10分、将監小屋まで下りました。予想通り将監小屋にも冬季解放部屋がありました。ストーブも解放されていて。利用代の千円を入れるポストもみつかりました。でも寝る方の部屋とは引き戸で隔てられていてこの戸を開放してもストーブの熱があまり伝わらない構造(本気でガンガン燃やせば別だとは思うけれど)でした。それで、今度は寝る部屋の中にテントを張らせていただき、またまた快適なテント場とさせていただきました。

25日
将監小屋から飛竜山まで尾根の南側をずっとトラバースして行くアップダウンの少ない道が続きます。コースタイムは2時間半、でもけっきょく5時間かかって飛竜山に到着しました。飛竜山の山頂は名前に反して平らです。テントが何張も張れる所です。

雲取山まで行くと下山する時間が無くなるので、飛竜から三条の湯に下りました。三条の湯は三条小屋と同値です。小屋の人に下の道までタクシーを呼べないかとたずねてあっさり断られて、てくてくと3時間、お祭りまでの林道歩きとなりました。

秩父の山では鹿が増えすぎて困るようで、犬を連れた猟師チームが鹿を捕りを終えて帰り出していました。てくてく歩く僕らの脇を小型のトラックが通り過ぎました。荷台には解体された鹿さんが乗っかっています。小さな声で「アノー」とか言ったけど、トラックは通りすぎてしまいました。
「鹿さんといっしょに乗るのはやだよね!」
とか言って自分の気の弱さをちょっぴり悔やんで、慰めていました。またまた車、それもジムニーで中には運転手さん一人だけ。
『勇気だせ!』『勇気だせ!』
と決意したかどうか?僕はジムニーの前に両手をあげて立っていました。 ジムニーの窓から人の良さそうな猟師さんが顔を出しました。
Ju: 「すみません、ぼくら乗せてくれませんか?」
運転手:「その荷物で乗れないよ!」
Ju: 「荷物はかかえるから乗せて下さい!」

運転手(猟師)さんは「いい」と言ったかどうか?定かではないのです。ぼくらはジムニーの助手席側の扉を開け、助手席を倒して後部座席にHo氏、Ma講師と乗り込み、In氏はザックを車の中にどんどん送り込んでしまいました。それでもって、In氏はザックにつけたピッケルをジムニーにガチンとぶつけたりしていました。In氏には気配りというかデリカシーのネジがズレている所があるのですが、この状況では強い味方のように思えてしまいました。

3時間の歩きはジムニーの中での30分の押しくらまんじゅうに変更、ぼくらはアットいう間にお祭りのバス停の所にある食堂の人となっていました。(J記)

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January 01, 2006

山の本

 あっという間に大晦日。2005年は雪の八ヶ岳、夏の北ア、沢にデビューしたのが山の思い出。3776mにも立て、満足の年でした。来年もよろしくお願いいたします。

 「読んでなかったの!?」といつもパーティを組んでいただく方には言われてしまいそうですが、この休みは『山で死なないために』/武田文男著を読んでいます。情報は古いので良くなった点と退行してしてしまった点があると思いますが、得るもの多々、です。特に過去の情報に精通すべしという点に共感をもてます。もう一点非常に気になっている点があって、他のパーティの遭難(とくに雪崩れや落石地点)に居合わせた場合、二重遭難の危険を冒して人命救助にあたることの判断の難しさです。自分の力ではするべきではないようにも思われるし、見捨てることはシーマンシップならぬマウンテナーシップ(?)が泣くようにも…。またパートナーが難所で怪我をした場合に他のパーティに応援を依頼すべきかという点。みなさんどう思われますか?

***

 自分は知識をたくさん持っているよりも、どんな場所にも対応できる知恵と技術を持っている方が大事と普段考えています(というよりも脳の容量の問題でそれしか方法がない)。それは”明確な課題をクリアする”ことに焦点を当てた場合は結構正しいと思うのですが、いったん”山で死なないために”という視点で見ると、危険極まりないことに気づきます。すべての状況の中で何がその時点の最優先課題なのかを見出すことは困難だからです。「危険が最も危険なのは、それが危険であると認識できないことだ」というくだりは確か菊地俊之著の『最新クライミング技術』に出てきた言葉だと思いますが、まさにその通り。その認識率を上げるために、情報=知識を集積することは役立ちそうです。そしてその情報を実感もって吸収するためには、百名山制覇のようなスタンプラリー登山も悪くないと思うようになりました。また小さな山でも常に「安全だろう」登山ではなく「危険かもしれない」登山を心がけたいと思った次第。そういう意味では例えば百名山も、各山に気をつけるべき技術項目のようなものがあるとよいのかもしれないです。

 なんで急にこんなことを書き込んだかというと、雪山シーズンを前にして、危険に対する認識度合い、行動判断、緊急時対応を、いっしょに山へ行ってくれる方と極力擦り合わせておきたいと思ったからです。当然十分な打ち合わせや普段からの意見交換でなされるべきことではあるけれど、知識ベースとして著作の情報を共有しておくことで、顔を合わせて行う議論と確認作業を濃密にすることができるのでは、と。最近Timtamで提案されたビレーヤーズグレードの考え方を見ていて、そんなことを考えたのでした。

 確かにすべての危険を回避していては行動できないし、生きて帰れればよい、山で死ねるなら…、という気分になってしまうことが自分自身あるのですが、これは大きなイマジネーション不足で。現実にはちょっと足をくじいたり、切創をつくったり、行動が予備日を超えて伸びるくらいのことも、自分がその立場に立てばものすごいダメージです。自分はそういうことすらできれば一生避けて通りたい。でも山には登りたい。だから所々弱気な発言をするかもしれないけど汲み取って欲しいし、逆に無謀なことを言っていたら諭して欲しい、より確実な方法があるなら選択したい、と思います。よろしくお願いいたします。

 本ですが、『いまだ下山せず』/泉康子著もお薦めです。著者が冬の槍ヶ岳付近で行方不明になった仲間の捜索活動に奔走した記録です。この本を読んだのが丁度1年半前、すぐに山岳遭難救助保険に加入しました。^^; まだ読んでなくて、ぜひ読みたい本→『生と死の分岐点』/ピット シューベルト著、 その続編と、『山で~』の続編。他に「自分とザイル結ぶならアレは読んどいてくれ!」というのがありましたら、ぜひご紹介ください。「今年雪山講習に初参加します!」という方がこれをお読みになっていたら、上記文中に登場する本、ぜひ手にとってみてください。(Naito 記)

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