鷹取クライマーに乾杯
36年前の6月のこと、僕は大学の四年生でした。
,
夜の8時ごろに後輩の田君から電話がかかって来ました。
田:「今度の夏合宿に毛勝に行きます。ザイル持って行きたいんです。」
僕:「フーン!」
田:「それで、ザイルを買いたいんです。」
僕:「部室に古い12ミリがあったじゃないか?」
田:「あれは撚りザイルでもう古すぎます。」
僕:「それじゃあ、部費でザイル買えばいい。」
田:「ザイルは部じゃなくて個人で持った方がどう使ったかがわかるから、個人で買いたいんです。」
僕:「フーン!」
田:「お金がないので、僕と岸とJさんの3人で買って、毛勝に行った後は3人で交代でそれを使いたいんです。」
四年生部員は後輩にはとても優しいのです。僕はすぐにOKの結論を出してしまいました。地下鉄千代田線を作る工事のアルバイト収入があったばかりのゆとりがそうさせたのかも知れません。
僕:「・・・わかった、その話しに乗ろうじゃないか!」
田:「それでザイル買いに行きたいのでいっしょに行って下さい。」
僕:「・・・来週の水曜ならOKだよ!」
話しがまとまって、僕と田と岸の3人は鶴見のIBSにザイルを買いに行きました。店員に9ミリ一本じゃ本番に使えないと言われて、エーデルリットの11ミリの40メートルザイルを買いました(今思えば、様々な諸条件に合っていたのは8ミリ30メートルの補助ロープと考えられます)。そしてその週の日曜日に鷹取山にザイルの使い方研究に三人そろって出かけて行くことになりました。先輩で横須賀山岳会に入っている原さんに
「教えて下さい!」
と頼んでみたら、わりとあっさり、午後だけですが、来てもらえることになりました。原さんとは午後1時に石仏の前で待ち合わせです。
,
僕の部つまりワンゲル部は夏は縦走登山(含ヤブコギ)で冬は山スキー(ツアースキー)がメインの活動でした。岩登り、沢登り、2000メートル以上の雪山登山をやってはいけないというルールは無かったのですが、OBになってからやるというような暗黙の了解みたいなものがありました。上記のエーデルリットのザイルは2万円以上しました。ジュラルミンのカラビナが千円以上、ハーケンは6百円以上です。クライミング用品は現在の値段と大差がないのです。学生食堂で定食が60円、うどんが30円で食べられた時代です。ハーケンを2つ買うお金は学生の一ヶ月分の昼飯代に相当しました。僕らの部が岩登りとか2000メートル,以上の雪山登山をやらなかったのはお金がなかったからだと思います。
,
さて、その日曜日、僕ら3人は湘南電車に乗って東逗子駅で下車、地図を見ながら鷹取山に向かいました。私鉄の京浜急行線より国鉄(今のJR)で行く方が安かったのです。鷹取山に到着したら、たくさんの人が岩を登っていました。社会人山岳会の全盛の時代です。20代から30代のバリバリのクライマーたちがほぼ全ての岩場に取り付いていました。当時から岩にはハーケンを打った跡の穴がいっぱいあいていました。リードする人はその穴にハーケンを思い切り打ち込んで支点とし、アブミをかけて人口登攀で登ります。セカンドも人口登攀で登り、トップの打ち込んだハーケンを左右にたたいて抜いて行きます。鷹取山の岩はやわらかい砂岩なので、人口登攀で登られるたびに穴が大きくなって行きます。僕達はまさに、その「穴を大きくする」渦中を見たのでした。
,
バリバリクライマー達の人口登攀をしばらく見学した後で、歩いて登れる岩の上(たぶん石仏エリアとコの字エリアの間にある岩)に出て、そこで肩がらみの懸垂下降の練習をしました。午後1時になって原先輩が合流、リードアンドフォローのロープワークを教えていただき、3級の岩場を登りました。たぶんそこはコの字エリアに行くためのアプローチになってる緩い斜面とコの字エリアの西側にあるちょっと暗い場所の緩い斜面です。コの字エリアにも行きました。夏だというのに、十二本爪アイゼンを使って練習をしている人がいました。トラバース練習(現在のボルダリングに近いこと)をしている蜘蛛みたいな人もいました。みんなクレッターシューズと呼ばれる登山靴で登っていました。僕らは縦走用の登山靴で登りました。ハーケン打ち&ハーケン抜きも体験しました。思い切りたたきこむとハーケンが効くことがわかりました。
,
大学四年が終わって、僕は就職しました。自分の性に合っていない職種だったようでけっこう苦労しました。山登りや岩登りに出かけて行く余裕は10年ほどありませんでした。エーデルリッドのザイルは田君と岸君がしばらく交代で使い、その後、部に寄付されて、10年ほどで廃棄されたようです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そして、時は経ちました。鷹取山はハーケンを打った後に残った穴をホールドにして登るフリークライミングの場に変りました。
,
2007年11月25日の日曜日にTimtamの救助訓練ということで鷹取山に行って来ました。幸い、風もなくて朝から暖かい一日でした。訓練場所は午前中は「コの字エリア」にて自己脱出、仮固定各種、懸垂下降各種、宙づりからの救助の訓練を行い、午後はコの字エリア入り口手前の「樹木の広場」で、人の背負い方、ザイルの結び目通過、負傷者の吊り上げ各種、ツエルト担架の作成、を行う予定でしたが、樹木の広場が救助訓練してるみたい登山者でいっぱだったので、出来るだけコの字エリアで内容を消化することにしました。午後2時を過ぎて樹木の広場に移動、ザイルの結び目通過、負傷者の吊り上げ各種の班別練習のみを行いました。ツエルト担架の練習は時間切れで省略しました。
,
樹木の広場にいたのは二つの山岳会の人達だったとわかりました。合わせて40人ほどいました。その半数ぐらいを占めるのは年配(70歳代かな)の方で、かなりの実力の持ち主とお見受けしました。その年配の方々の中には、その昔、鷹取山の岩にハーケンを打ち込んで登っていたバリバリクライマーが何人も混ざっているだろうと推理出来ます。往年のバリバリクライマーと、それに並行して鷹取山に在る、Timtamの若きクライマー達に乾杯。(J記)

Comments