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April 22, 2011

安達太良山は侮れない!(I島)

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頂上にて

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帰路

2011年3月5日・6日 
 5日の9時50分に二本松の駅集合。東北道を二本松インターまで行き、そこで高速を降りて駅に向かった。1時間ほど早めについて、駅前のセブンイレブンで講師のM浦車を発見し、隣に横づける。N嶋女史も一緒。駅の方に歩いて行くと小林氏を認めた。一本早い電車にて到着とのこと、近況を話し合う。しばらくして、I井氏、T里女史、Y井氏が合流して7人で2台の車にて安達太良スキー場に向かった。天気は晴れ。スキー場はそこそこの風が吹いていたが、駐車場は満車状態であった。整理員の指示に従って駐車し、出発の準備を整え、スキー場に向かう。道標に従っていくと、やがてスキー場から離れて山道へ。数十分も登ると勢至平に入っていく。本当に広い雪の原野が広がっている。のんびりとしたハイキングの様相である。勢至平で進路が西に方向が変わる辺りから、湯川の谷を歩く格好になる。右が谷方向で少々細い踏み後があるものの、歩きにくい。出発の折には晴れていた天気も、曇りで風も出てきた。谷が狭まってくると大きく左に曲がり、小屋が目に飛び込んでくる。今夜の宿泊施設である「くろがね小屋」である。2時前に到着したが、さっそく宴会モードに。日本酒、バーボン、ウーロンハイ、ビールなどを頂き、適当に温泉に浸かり、カレーの夕食を頂き、8時には就床した。宴会は長く、楽しく、・・・でした。

 翌日は6時20分には朝食、7時50分にはすべてを整え、山頂に向け出発した。天気は快晴に近かった。しかし、行程の半分を過ぎた辺りで次第に雲が出てきて、風も強く、視界も幾分とも悪くなってきた。頬に当たる小雪の粒も痛い。一緒の宿泊だった茨城山岳会の人たち20名ほどが先導してくれる格好であったので、山頂直下まで問題なく進めた。頂上は風が強く、視界がまったくきかなくなっていたので、数分で降りて、帰途についた。

 当初、下山はゴンドラ山頂駅を目指す予定であったが、視界がますます悪くなったので、M浦代表とY井講師で話し合い、往路を帰ることになった。茨城勢はゴンドラコースを行ったとみえ、進路方向には誰もいない。M浦代表を先頭にとにかく一路、くろがね小屋を目指す。歩き始めてからしばらくは視界が悪く、しかも強風が吹くなかでの移動である。こういう状況が道を失わせる原因になると直感した。しかし、数十メートルおきに立ててある竹製の目印を探して、進んでいった。小屋に近くなると人工物の一部(鎖はコンクリートの木に似せた柱など)が少し顔を出していて安堵する。小屋が見えたときには、本当に緊張が解けた。しばらく休んでいると、茨城勢も姿を見せた。きっとゴンドラコースに行って、引き返してきたのだろう。手がかりが少なければ、そちらのルートは危険ルートだ。小屋からの帰路の途中では、これから上がってくるパーティにもちらほら出会った。明日はさらに天候が崩れる予報である。彼らの安全を祈るのみである。

 スキー場の駐車場に着く頃には幾分とも晴れ間も見えていた。数百メートルの違いが絶対的な違いなのだと思った。電車で帰る皆さんを二本松の駅まで送り、労をねぎらい再会を思って分かれた。帰りの高速はまだ2時台ですいていた。東北の名山、侮れず。そして楽し。

追記:この一週間後に東北大震災が起きた。11日の大惨事を誰が予想できただろうか。自然の猛威の前には人間の築き上げたものが、むなしくも消えていく。いや、消えていくどころではない。人間の経済的繁栄を支える、英知を絞った科学技術の最先端のはずのものですら、むしろ制御不能の災禍をもたらすことを、私達は思い知った。自然災害はどれほどそれに備えようとしても、対応できないことがある(今回の地震と津波)。それは自然が途方もないエネルギーを持っているからである。しかし、人間がつくりあげたものは、油断さえなければ、それへの対応はできるものだと思っていた。そんなに人間は愚かしくはないと。しかし、そうではなかった(原子力発電所)。人間は自分で作ったものですら、コントロールできないのだ。だからもう作らないという発想はないであろう。しかし、自分たちの欲望から享受したがために(暑い日の冷たい風邪、寒空でも暖かい空気・・・、スイッチ一つでの快適な生活。素早い空間の移動・・・)、エネルギーを生み出すテクノロジーから復讐にあうというような構図がそこにはあった。物理的な快楽を追求することに慣れすぎた私達の姿が、なぜかそこにぽつんと見えたのは私だけではないだろう。これからのエネルギー問題を真剣に考える機会が必ず訪れよう。そのとき、私達はどのような決心をしたらよいのだろうか。そして、その決心はこれからの私達の生活に大きな変化をもたらすはずである。エネルギー問題は直接私達の生活に左右する大きな、そして経済的繁栄を左右する大問題だからだ。

 これから日本人はどのように生きていこうとするのだろうか。私が子どもの頃にはエアコンもなければ、携帯電話もなかった。もちろん、コンビニも。コンピュータも。今日、新しく開発された様々な製品に囲まれて、日々当たり前の生活をしていても、エネルギーの供給が止まってしまえば、私達は何もできない。そうなると却って、昔の生活の方がまだ豊かだったのではないかと思われる。薪でお風呂を沸かし、炭でお湯を沸かす。そして炬燵で暖まる。原子力がなくても最低限度の電力エネルギーで生きてきた。人類よ、おまえは一体どこに向かおうとしているのか?とついつい問いたくなってしまう。もちろん、その答えは与えられるものではなく、探し続けなくてはならないもののはずである。その覚悟をするべき時なのかもしれない。 

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