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November 30, 2016

三国峠越え(越後から上州へ)  (Jam!活動報告)

2016年11月 
新潟側から三国峠を通り、群馬側の宿場(猿ヶ京)まで歩いてきました。

写真① 三国トンネル 新潟県側登山口
Photo

歴史的にみると、古くは平安時代に坂上田村麻呂が東北へ攻め込む際に通り、戦国時代には上杉謙信が幾度となく峠を越えたとあります。江戸時代には参勤交代で使用され、越後の良質な米を江戸に運ぶために更に整備されました。江戸からは罪人を佐渡へ島流しにするためも使われたようです。

写真② 新潟県側から三国峠へ登っていきます。
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実はこの部分は三国トンネルの工事の後に作られた部分で、本来の三国街道ではないとの事。一見なだらかな感じでも、ちょっと急な登りもあり「自分達で米を運ぶとしたら…どうだろう~大変かも~」なんて思ってたら、やっぱり違ってました。旧三国街道はトンネルの上をトラバースしていたようです。

写真③ 三国峠(1302ⅿ) 三国権現があります。
1302
三国は上野赤城(群馬)、越後弥彦(新潟)、信濃諏訪(長野)の事だそうです。後ろに見えるのは三国山(1626m)

三国峠は地形的に優れています。尾瀬から谷川岳~三国山~白砂山へ続く上越国境の稜線は中央分水嶺です。その中で一番標高の低い地点が三国峠です。しかも新潟側からの勾配がとても緩やかです。新潟側登山口から新潟方面へ8㎞離れた地点で標高差を比較しても170m程度しかありません。川沿いの道はなだらかで移動や運搬に適しています。

写真④ 三国山に登ってみました。
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階段の左側に降る雨は日本海に、右側に降る雨は太平洋に至ると思うと面白いですね。

写真⑤ 山頂から群馬方面を望みます。
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山腹に国道17号線が通ってます。S34年に国道が開通してから、三国街道はひっそりと身を潜めます。

写真⑥ 三国峠(県境)から群馬方面へ。
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いい感じの下りです。

写真⑦ 三国峠から群馬側への1㎞位の区間が雪崩地形になっています。
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そこにある長岡藩士の墓。1740年2月に江戸からの罪人を佐渡に護送中に雪崩に遭い、長岡藩士8名が亡くなっています。3000名の村人が捜索に駆り出されたと記録にあります。上杉謙信も冬の三国峠を越えていたようです。衣服も乏しいなか、昔の人は凄すぎです。

写真⑧ 地図で雪崩地形を確認しつつ、また周囲の地形と照らし合わせてみたり…。
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写真⑨ 雪崩地形を越えるとカラマツの林が出てきます。
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新潟側~三国峠周辺はミズナラやブナが多く、山頂付近はダケカンバ、下ってくるとカラマツや広葉樹が見られ、植生の変化を楽しめます。

写真⑩ 三坂の茶屋跡。カラマツの木と街道の雰囲気がとても良いです。
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写真⑪ 三国峠から4㎞程下ってきたところにある大般若塚。
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多少の起伏がありますが三国峠からの標高差は60ⅿ程です。昔、この辺りで遭難者の霊が妖怪となり旅人を苦しめたようで、その霊を鎮めるために大般若塚を建立したとあります。

写真⑫ 標高1000mより下がると植林された杉林が出てきます。
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写真⑬ もうすぐ山道が終わり、永井宿へ。
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大般若塚~永井の辺りは、実はヤマビルの巣窟です。以前8月の小雨の日にここを歩いたときは、レインウエアに20~30匹這い上がられました。10月以降がいいみたいです。今回はまったく居ませんでした。

写真⑭ 上州に入って最初の宿場が永井です。
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米の問屋場としてかなり栄えたようです。江戸から来た場合は、三国峠を越える前の最後の宿場であり、多くの人がここで宿泊、休憩を取ったようです。

写真は永井郷土館。管理人さんの話では、15年位前からイノシシやサルが庭先に現れるようになり、それに伴ってヒルも多くなったと。広葉樹の伐採、杉の植林などで植生のバランスが崩れ、エサ不足による動物の生息範囲の変化がもたらした害?かもしれません。

近くの家では、一斗缶を棒で叩いているおばあさんがいました。挨拶してお話しすると、庭の畑を荒らすサルを追い払うためと教えてくれました。

写真⑮ 永井からは中部北陸自然歩道の看板に沿って、吹路、猿ヶ京へ歩きます。
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突然、ダムのような壁が…。自然歩道もこの建造物で消滅してました。現在、新三国トンネル工事が計画されており、これは掘削が始まった際の残土を捨てるコンクリート壁でした。この壁を迂回するルートが本日唯一のバリエーションでした。

写真⑯ 無事、ルートに復帰し猿ヶ京に向かいます。
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永井から猿ヶ京まで4㎞あります。結構長く感じます。

写真⑰ 2番目の宿場、吹路(ふくろ)を歩きます。
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「フクロウの里」と呼ばれていたようで、それが由来との説があります。

写真⑱ おがんしょかけ
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医療の乏しいこの辺りの山村には、お地蔵さんを祀り「おがんしょ(願)かけ」をして、病の回復を願った風習があったそうです。耳だれ地蔵やいぼ地蔵など、身近ながらも悩まされる疾患の名がついた地蔵がいくつもありました。スタンプラリーの判もありました。

写真⑲ もうすぐ猿ヶ京。
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紹介していない史跡もたくさんあり、ゆっくり楽しんでたら夕暮れ時になってしまいました。1日楽しめる歴史街道です。

行程:猿ヶ京のタクシー会社に車を停めさせて頂き、タクシーで新潟側登山口へ(4500円位)。

新潟側登山口9:15 三国山10:40 大般若塚13:30 永井15:00 猿ヶ京16:30

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