« 作業着屋さんで見つけた手袋5種類(かげろう) | Main | スキー林間+ショートロープ(M浦) »

December 25, 2019

続 成せば成るのだろうか?(M浦)

 極端な例で示せば、30歳で身長160cmの人がどんなに努力しても全日本バレーチームのエースアタッカーにはなれない。つまり「成しても成らない」場合が多くある。

 M君は3月生まれだ。小学校の時、背の順に並ばせられると、前から2番目、ちなみに、一番前はM田君だった。M君は体育がちょっと苦手だった、走る飛ぶ投げ打つ、背も体重も大きな同級生に追い付けないことが多かったからだ。
「背が高くなりたい」
それはM君の悲願だった。もともと運動能力が高い方でないのは気がついてないようだった。
 中学に入って、背が高くなるということで、バスケットボール部に入った。たまに、お情けで試合に出してもらえてもボールはあまり回って来ない、背もぜんぜん高くならない。
 
小さくとも出来るといことで、卓球部に転向した。裏ソフト、アンチスピン、下回転、横回転…初心者の内は(もしかして上級者も)ラリーよりも1球目の駆け引きでポイントが決まる。瞬発より持久タイプのM君には合わなかった。
 
55kg級(他に65kg級、78kg級、78kg超級)があるから小さくても出来るということで、柔道部に転向した。でも団体戦は無差別、練習も無差別、昇級・昇段試験も無差別、練習がきつくて、M君はたまらず、またまた転部することになった。
 レギュラーがない、過去のスポーツ経験がいらない、小さくてもOK(実は代謝が少なく、少ない食べ物で力が出せる小さ目の人が有利だと後から知った)のワンゲル部に入った。荷分けの時に各人の歩荷力を考慮してくれる先生や先輩に助けられて、ようやくM君は居場所がみつけられた。大学に入ってもワンゲル部を続けた。

 1970年代の当時、岩の登り方は人口登攀が主流だった。
Photo_20191225113001
遠い支点にアブミを掛けることを考えると手が長いか身長の高いクライマーが有利な登り方だ。先輩達はどうしていたのかというと、プレクリップマシンという道具を使って手を長くしていた。
7zfuifure

 自分に適したことを目指すこと、今一難しいなら用具や別の人の手を借りること、それならば、「成せば成るのかも知れない」。

ちなみに、プレクリップマシンは「チョンボ器」とも呼ばれるけれど、気にしないこと・・・「人は可能なことを夢見る」。


<追記>
 1964年の東京オリンピックが近づく頃、全日本男子バレーボールチームの練習会場にテレビ局の撮影隊がカメラリハーサルに来た。
「男子は回転レシーブをしないのですか?」とディレクターは松平コーチに聞いた。
「回転レシーブでは190cmを超えるソ連や東独のアタッカーのスパイクに追い付けないので、まっすぐ飛ぶだけです。」と松平コーチは答えた。
 東京オリンピックで男子チームは3位、銅メダルを獲得した。でもそのことを知っている人は少ない。男子の試合はテレビ放送されなかったからだ、前記のリハーサルは女子だけのためのものだったのだ。

 1965年松平コーチは松平監督になった、無名だけれど、身長が190cm以上あって運動能力の高い選手を全国から一人一人集めることからスタート。テレビ放映のチャンスがあれば「フライングレシーブ」「A・B・C・クイック」「時間差攻撃」「一人時間差攻撃」「9mの逆立ち歩行」「松平サーカス」などのとっておきのシーンを計画的に繰り出して、視聴率を上げることに力を注いだ。それでもテレビ放映されなかったこともあった、東独チームを日本に呼んだ時とか、ソ連に遠征したりした時とか・・・。1968年ミュンヘンオリンピック、12対14のマッチポイントあと1本で東独に敗れる所から逆転してようやく金メダルに到達した。

「『成せば成る』と安易に言ってはならない。天才が本気で努力して、天の時、地の理、人の和があって初めて金メダルが取れる。」松平監督の言葉だ。

|

« 作業着屋さんで見つけた手袋5種類(かげろう) | Main | スキー林間+ショートロープ(M浦) »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




« 作業着屋さんで見つけた手袋5種類(かげろう) | Main | スキー林間+ショートロープ(M浦) »