剣岳源次郎尾根のエッセイ(Ysi)
剣岳 源次郎尾根
平成24年8月10日 (夜発)~平成24年8月13日
L:YSI(記)、登山教室Timtam8名
最後に剣岳に行ったのはいつのことだったか。その時は無名山塾時代のチンネ左稜線だったと記憶している。結婚前後のブランクを経て、ノマドでは、プランナーとして最後に残してあった剣尾根登攀を計画した。多分、1999年のことだったと思う。この前年に谷川のマチガ沢本谷で左肩を脱臼し、その後、筋トレを積んで来るべき剣尾根に備えた。左肩は半ば習慣性脱臼となっていたが、「剣尾根まで持ってくれ」と祈るような気持ちだった。それほど剣尾根は思い詰めたルートだった。トレーニングも積み、準備も整え、出発前週に最後の調整のために谷川岳一の倉尾根に出かけたが、下部の尾根で藪こぎをしている時にまたも脱臼。あえなく、剣尾根は断念することになった。他メンバー3人は、翌週に剣尾根を抜けた。今では、月夜野の病院で左肩をはめてもらって、帰りの途中で立ち寄った喫茶店で苦り切った顔をしていたことを思い出す。それ以来、剣岳からは足が遠のいた。
2004年に米国留学から帰国して、夏は泊まりの沢に行くのが定番となった。「剣岳に行く」という気持ちがもはや意識から無くなっていた。そんな中、今年6月、思いがけずTimtamの松浦さんから源次郎尾根の講習会に誘われた。水戸から東京に戻って4ヶ月経過していた。東京で再び山に頻繁に通い始めていたが、この時だけは、「剣」、この不思議な響きに何かが反応した。昨年までであれば、たとえ夏に剣に誘われても「夏は沢登りさ」と完全に思っていたが、今年だけは何故か違っていた。また、考えてみれば、あれほど通っていた剣では松浦さんとザイルを組んだことが無かった。何かが、呼んでいるのだ。
8月10日(金)
剣岳は呼んでいたのかもしれないが、状況は邪魔をしていた。新たに担当する仕事のスタートが8月9日となり、10日、その次の週はどれくらいの仕事量かわからない。松浦さんに最終的に参加を返答したのは本当に直前だった。弱気になって、「やっぱり、やめようか」、「やっぱり無理だ」と何回も思ったが、思い切って行くというネジを自分に巻いた。幸い、思ったほど仕事の量も増えず、10日の夜行バス「さわやか信州号」に乗ることができた。
8月11日(土)
扇沢に5時半に到着。同じバスに乗っていたメンバーも含め、総勢9名のメンバーが揃った。梅雨明け以降、安定した晴天が続いていたがお盆期間になってから天気が崩れだした。だいたい、剣岳の登攀適期は梅雨明け2週間でお盆だとやや遅い。前日、既に扇沢にいる、松浦さん・Nsさんの先発隊と電話で連絡をとり、天気が悪い場合は、「長次郎雪渓を行けるところまで行こう」ということにしていた。内心、「やはり剣との相性は回復していない」と思いながら、かつて何回も歩いた黒四ダムから内蔵助平~ハシゴ段乗越のルートを行く。いつも炎天下や雨天の歩きであったが、今回は曇天のためやや楽に歩けた。天気予報は的中し内蔵助平から雨となった。雨具をつけて、ハシゴ段乗越を越えると眼前にマイナーピークが現れた。漸くここに帰ってきた。真砂沢まではあと少しだ。尾根から沢に降り、やがて、雪渓の末端が見え始めたが、まだ、真砂沢は目の前の丘に隠れて見えない。丘を登り切ると、ひょっこり、真砂沢ロッジと真砂沢のキャンプ場が現れた。何年も会っていない友人と再会するようななんとも言えない懐かしさだった。やはり、ここのテント場は他の場所とは雰囲気が異なる。クライマーばかりでハイカーと観光客はほとんどいない。今回は講習会ということもあり真砂沢ロッジに宿泊。まずはビールで疲れた体を癒し、快適な小屋での食事、睡眠となった。
8月12日(日)
天気予報は外れ快晴となった。3時半起床、4時半出発。今日は長丁場だ。前回、源次郎尾根に登った時は多人数のパーティーで途中から雨天となり、しかも、別山尾根から下山したので真砂沢のテント到着は夜8時を回っていた記憶がある。今回は、なんとか夕食までには帰りたい。取り付きまでの雪渓をひたすら登るうちに朝となった。途中、若く元気な東京農大山岳部のパーティーに抜かれ、若き日の光景が脳裏をよぎった。目の前には源次郎尾根のⅠ峰がくっきりと見える。長次郎雪渓の入り口を通過、映画「点の記」で写った場所でもあり、かつて何回も八つ峰Ⅵ峰のフェースに通った道でもある。
源次郎尾根は、取り付き直後の難しい岩場は案の定渋滞だった。その後は、源次郎尾根名物の灌木まじりの岩登りだ。どんどん高度を稼ぎ、だんだん展望もよくなってくる。やがて、尾根はリッジとなり、右側にトラバースをするとⅠ峰へと至る草付の岩場に到達。ここは、落ちるといけないのでザイルべたばりで登攀する。Ⅰ峰の後は本当の岩稜となる。晴天で高度感、眺望とも申し分ない。やがて、核心部であるⅡ峰の懸垂下降になるが、ここを越えると引返せないことと、やや時間がかかったことから、松浦さんから下降しようかと相談をうけた。確かに、時間はかかっているが、メンバーも歩けているし天気は持ちそうだし、なんと行っても、この頃から見えだした剣本峰の勇姿を見ては引き返せない。即座に「脱出口は頂上です」と返答した。Ⅱ峰の懸垂下降を慎重にやりすごし、先に降りたNaさん先頭に先に歩き出してもらう。今から考えると、この懸垂下降がもし後続パーティーに順番を抜かれていれば、その日の下山は出来なかっただろう。剣との相性はだんだん回復してきたのか。剣本峰まではひたすら苦しい登りだ。午後4時半、待望の山頂。360度の素晴らしパノラマだ。剣は快く迎えてくれた。
下降は、別山尾根か長次郎雪渓か迷ったが、松浦さんと相談し、疲れたメンバーが別山尾根を下るより、時間的に有利な長次郎雪渓を降りたほうがよいということになり、剣北方稜線を下降。ここは、落石の巣でなかなか手強い。夕日の中、雪渓の状態も気になり気ばかり焦る。メンバーの数名はこの悪い尾根を降りづらそうだ。長次郎雪渓はザイルを3本(150m)つないでアイゼンとバイルによる下降。そろりそろり、リードしていく。人生と同じ、大胆かつ慎重な一歩が全てだ。やがて眼前に大きな段差が現れる。これは降りるのが怖い。ザイルに助けられて120mくらい下降したところにシュルントを発見し、比較的安定していたので、後続メンバーの確保体勢に入る。メンバーをそこまで降ろし、その先は松浦さんリードでさらに下降。やがて、トップが安定した場所に出たので、各人シュルントから順次下降した。途中でザイルをほどき熊の平に。薄暮の中、目の前に雄大なⅥ峰のフェース群が迫る。ここからは懐中電灯を頼りに長次郎雪渓をひたすら降りる。すでにあたりは真っ暗だ。ようやく午後7時半に剣沢に到着。小屋には午後9時前全員が無事帰着。小屋は親切にも食事を待っていてくれた。既に気温は低くなっていたが冷たいビールが体にしみる。
8月13日(月)
疲労感が心地よい。朝から雨で、昨日は奇跡的な晴天だったとわかる。雨の中のハシゴ段乗越から、真砂沢と剣岳に別れを告げる。長い道のりを疲れた体でのろのろと歩く。午後4時に黒四ダム下に到着。この頃から晴れてきて、黒四ダムへの登りは暑かった。かつて聞き慣れた「佐々成政の黒部越え」の逸話を聞きながらトロリーバスに揺れる。扇沢からは松浦車で東京へ。渋滞のため家に着いたら夜11時半だった。家族は実家に帰り不在だ。その晩は、旨い酒を飲んでぐっすり寝たことは言うまでもない。久しぶりに味わう充足感だった。
今回はいろんな意味でタイミングが良かった。剣に引かれたという感覚を持っている。果たして、剣岳との相性は復活したのか。その確信を得たのは本峰から長次郎雪渓を下っている時だった。剣岳の登攀はいつも充足感を与えてくれる。今回もやはりそうだった。登山者をどっしりと迎え、体力、気力とも消耗させ、精一杯遊び尽くさせてくれる。これが剣岳の醍醐味だ。
小屋に下山してきすぐ松浦さんと目が合った。期せずしてお互い同時に「いや~、やっぱり剣岳だったね」と言った。この言葉に全ての思いが集約されているように思う。この充足感は何者にも代え難い。これが登山の本質なのだと思うし、剣は登山の本質を呼び覚ます場所なのであろう。
以 上
到着 出
11日(土)
扇沢駅 待合 5:30 6:30
黒部ダム 6:46 7:31
内蔵助谷出会 8:46 8:56
内蔵助平 11:14 11:17
ハシゴ谷乗越 13:19 13:19
剱沢の橋 14:00 14:00
真砂沢ロッジ 15:24
12日(日)
真砂沢ロッジ 4:40
源次郎取付 6:00 6:36
Ⅰ峰 12:50 13:05
Ⅱ峰懸垂地 14:12 15:06
剱岳本峰 16:30 16:36
長次郎コル 17:22 17:30
真砂沢ロッジ 21:00
13日(月)
真砂沢ロッジ 7:30
剱沢の橋 8:01 8:11
ハシゴ谷乗越 9:40 9:40
内蔵助平 11:42 11:42
内蔵助谷出会 14:22 14:22
橋 15:30
黒部ダム 16:02
黒部ダム 16:35
扇沢駅 16:51 16:55
(Timtam Itsuさんの記録より)
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